153話 夏空と写真集


正式タイム、10秒22。

今までは10秒24が自己ベストだったので、0秒02更新だ。


(うーんっ…)


自己ベストはいい。

調子も悪くない。

しかし、それでは駄目なのだ。

びしっとA標準を突破しないと意味がない。


「速いっすね」


「あ、ども」


一緒に走った誰かに手を伸ばされて、軽く握手する。

10秒22は、日本国内で見たらかなりのタイムだ。

昔の僕なら、手放しで喜んでいただろう。


ジャージを着てトラックを出ると、いつものようにミキちゃんが待っていた。


「お疲れ様」


「うん」


スポーツドリンクをもらったので、一口飲む。

のどが乾いていたので、キンキンに冷えたスポーツドリンクは最高に美味しかった。


半分、飲んでふたをすると、ミキちゃんが受け取って僕を見る。

優しい表情だった。

美人です。

怒ってると、夜叉みたいになるけども。


「また一歩、前進ね」


「うん。頑張ったつもり…」


「よかったわよ。いい走りだった」


状況は、変わっていない。

いい走りだった。いいタイムだった。

きっとグランプリには出場できるだろう。


しかし、背水の陣なのは間違いない。


「分かりやすくていいじゃない」


どこか、遠くを見ながらミキちゃんが言った。


「グランプリで、A標準出して優勝。あとはもうそれだけね」


「うん…」


「コンディション整えて、頑張りましょう」


「んだ。それしかない」


いつもいつも、僕のことをちゃんと見てくれている。

本当にありがたいことだ。


ミキちゃんとの出会いが、いかに大きいものだったのか。

今になって、やっと分かる気がする。

アスリートとしても、プライベートでも、ミキちゃんに出会えて本当によかった。

僕はしみじみそう思った。


「どうしようか。もう帰る?」


さらりと、長い髪が風に揺れた。


「今日は中華にしようかしら。ピーマン買って」


「おお。いいね」


やっぱり、ピーマンが気になっていたらしい。


総合受け付けで、認定証をもらう。

星島望、10秒22と印刷されてある。

それから、知香ちゃんがやっているブースまで歩いていって、ナスとピーマンを買う。

ベースマンも知香ちゃんも、姿がなかった。

マネージャーの悠子ちゃんら、3人の1年生が店を任されていた。


米ナスマンの気ぐるみが音楽に合わせて躍っていたけど、中の人が誰なのかは不明。


「あ」


「ん?」


「これ買っていい?」


杏子さんの写真集を手にとって、ミキちゃんに許可を求める。

どうやらそれがおかしかったようで、1年生に笑われた。


呆れ顔だが、ミキちゃんがうなずく。

ちょっと恥ずかしかったけど、僕は堂々とお金を払った。

あとから買って隠れてこそこそ見るより、いいじゃないか。


「今度さ、杏子さんに会ったときにさ、見てませんじゃさ、失礼だと思うんだよね!」


「誰に言いわけしてるんですか」


「いえ。誰でもないです…」


紙袋に入れてもらった写真集を受け取ると、そそくさとその場を離れる。

そんなに、ミキちゃんは気分を害していないようで、安心だった。


一応、スタンドにいって聡志たちに帰ることを伝え、僕たちは絹山競技場をあとにした。

遠くからセミの声が聞こえる中、暑さが少し和らいでいた。

雲の合間から、かすかに太陽が顔をのぞかせていた。

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