152話 分かりやすい


トラックの外のほうを、3人で大回りにジョグする。


それから丁寧にストレッチをして、水分を補給。

空いてきたところでタータンの上に出て軽くダッシュを繰り返す。


「よいしょっと」


身体を温めて、また芝生の上に寝っ転がって柔軟をする。

まずまず、調子は悪くないようだ。


「星島さん、体調どうなんすか」


織田君が背中を押してくれる。


「う。まあまあかな」


「そすか。おれもオーストラリア行きたいなあ」


「行きたいよな」


「宝生さんは行くみたいっすね」


「あー。借金してでも行くみたいに言ってた」


「うーん…」


織田君が唸る。

みんな、気持ちは一緒らしい。


「下手すりゃ、真帆も4Kで行くかもっすよ」


「あー。そっか」


「てか今回、うちから出る人多いんじゃないすか?」


「そう?」


「あ、卒業生入れたらっすけど」


女子では、確定が亜由美さんと水沢さんだ。

B標準を突破して濃厚なのが、千晶さんと杏子さん。

4Kであわよくば真帆ちゃんといったところだ。


加奈がどうなるかは僕にも分からない。

男子では、十文字が200mで微妙な線。どっちに転ぶか分からない。

それと本間君もまだあきらめてはいないし、僕だって狙っている。


「柏木さんとか高柳さんは無理なんすよね」


「ちょっと、難しいかな」


「星島さん、もう追い抜いちゃったんですね」


金子君が言って、僕は慌てて首を振った。


「バカいえ。柏木さん、10秒12持ってるんだぞ。今はケガで調子落としてるけど」


日本歴代5位の記録だ。

僕は、日本選手権の予選で出した10秒24がベスト。

柏木さんは、ケガしてるのにこの前の日本選手権で10秒31。

比べるまでもない。


だけど、やっと追いついてきたという感じはある。

これから頑張って追い抜いていけばいい。


「高柳さんは無視っすか?」


織田君が笑いながら言う。


「うん。まあ、高柳さんはどうでもいいや」


「そうっすよね」


昔はすさまじく速く思えた高柳さんは、今では驚異には思えない。


コンスタントに、10秒3台を記録するスプリンターではある。

ただ、そこで安定してしまっている。

タイムにばらつきがない代わりに、爆発もしない。

性格は爆発してるのに、走りは意外とおとなしいのだ。


留年したのが恥ずかしいのか、最近は市の陸上クラブのほうで練習しているらしい。

どうでもいい情報です。


「よーし。おれも頑張って追いつくぞ」


立ち上がって、ぐりぐりと肩を動かしながら金子君が言った。


「金子君、ベストなんぼだっけ」


「10秒39です。星島さんには全然かなわないですけどね」


すかさずおべっか。

あざといけど、金子君、女の子にモテそう。


のんびりストレッチをしていると、競技場からミキちゃんが戻ってきた。

スタートリストが張り出されたらしい。

時間を教えてもらったけど、まだ2時間近くもあった。


「まだまだあるなあ」


「そうね」


「じゃ、本気モードでじっくりいくか!」


「いつもそうしなさいよ」


「ハイ…」


普段の記録会なら大ざっぱなアップをするだけだが、今日はじっくりと身体を温める。


時間がゆっくりと過ぎていって、やがて出番が近付いてくる。

今日は時間の流れが希薄だった。

あまり緊張もしない。

もっとも、この程度の記録会でいちいち緊張していたら大変だ。


「そろそろかな」


「いきますか」


金子君と織田君と、3人で競技場に向かう。


そこには、いつもの絹山陸上競技場がたたずんでいた。

だけどやはり何かちょっといつもとは違っていた。

まるで僕を拒むかのようで、例えるならサッカーのアウェーのスタジアムみたいな感じだ。


「どうしたの?」


落ち着きなくもぞもぞしていると、ミキちゃんに背中を撫でられた。


「大丈夫?」


「あ、うん、大丈夫」


「いつもどおりでいいのよ」


「うん」


僕は素直にうなずいた。

少し、プレッシャーがかかっているのかもしれない。

今日と、そして出場できたらグランプリ本戦と。

あとたった2回のレースで僕の運命は決まるのだ。


逆に言えば、グランプリ本戦に出場できなかったら、今日がラストチャンス。


「果たしていつもどおりでいいのだろうか…」


「いいのよ」


「そっか」


「ただしフライングだけは気を付けて。素人さんにつられないように」


「あ、うん。了解」


「いってらっしゃい」


ミキちゃんに送り出されて、僕はトラックに出た。


プレッシャーはあったが、焦りはなかった。

ただいつもどおりに、それだけでいい。

いつも以上の走りをする必要はない。

世界陸上に出れるかどうかなんて、高校時代の煩悶に比べれば、贅沢な悩みだ。


「よっしゃ。いくぞ」


レーンに出て、あえて声に出して言ってみる。


客層が普段と違うのか、スタンドが少しざわついている。

それ以外は、いつもの競技場だった。

スターティングブロックを調整して、軽く飛び出して戻ってくる。

調子自体はまずまず悪くないのだ。

いつもどおり、ただそれだけでいい。


8人の選手のうち、ユニフォームになっているのは4人だけ。

あとの4人はジャージ姿のままで、スパイクすら履いていない。

たぶん、陸上部ではないのだろう。


(つられないように…)


隣がびくっと動いて、つられてフライングなんかしたらアホらしい。

まっすぐ、前だけを見ておこう。



「on your mark」



いつもの大会より、数段、テンポが早い。

スタートラインについて、大きく、呼吸をする。

何も考えないように頭を空っぽにして、オレンジのタータンを見つめる。

とにかくただ、自分の走りだ。自分のスプリントだけに集中だ。



「set」



余計な心配をしなくても、号砲が鳴って飛び出した瞬間、頭の中は空っぽになった。


無風で、走りやすかった。

動きも悪くなかった。

大気をすばやく切り裂きながら、一歩一歩、かみしめるように走っていく。

独走で、そういった意味では硬くならなかったと思う。


(軸、軸…)


それだけ、意識して走っていく。

体を、まっすぐに。

脚が流れないように。

変に力を入れない。

軸だけ、しっかり。


「のぞむくーんっ!」


どこかから、加奈の応援が聞こえてくる。


最後、少し疲れたかなという感じだった。

それでも、きちんとフィニッシュまでして速報を確認する。

自己ベスト、10秒22が出ていた。

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