133話 タイムアタック


場内アナウンスが、女子走り高跳びの日本記録の誕生を告げる。


フラッシュの嵐の中、水沢さんが大きく両手を挙げた。

女の子たちが悲鳴のような声を上げる。

ここからだと見えないけど、藤崎小春あたりが大騒ぎしているだろう。

僕も思わず、ピットのほうを見ながら拍手してしまった。


やった。

水沢さんが、やった!

将来的に、日本記録を塗り替えるのではないかとは思っていた。

しかし、想像していたよりも圧倒的に早く達成してしまった。


40m地点に立ったまま、観客と一緒になって拍手をしていると、僕に気付いたようで、水沢さんがこちらを向いて手を振ってきた。


(う…)


本当に、充電の効果はあるのかもしれない。

軽く手を振り返しながらそんなふうに思った。


慌ててスタート地点に戻って、気持ちを落ち着かせながらニュースパイクをはく。

丁寧にひもを結んで、それからジャージを脱いで準備万端。

と言いたいところだけど、まだ場内もざわついているので、少し待たされてしまった。

水沢さんのところにプレスが集まっている。

盛り上がりがすごい。

ファンクラブの面々が、観客を煽ってスタンディングオベーションをしている。


(うぬ)


一度、レーンから外れて深呼吸をする。

 

ぷらぷらと身体を動かしていると、しばらくしてやっと選手紹介が始まった。

レーンに戻って腰ナンバーを付ける。

なぜか粘着力がものすごく低かった。

走っているうちにとれそうだなと思っていると、名前を呼ばれたので慌てて手を挙げた。



「on your mark」



ふっと、大きく息を吐いてラインに歩み寄る。


そしていつものルーチン。

今日は、気のせいだろうかゴールが近くに見える。

そのぶんタイムも縮まればいいが、果たしてどうなるか。



「set」



電子音とほぼ同時、スタートはばっちりだった。


反応速度はタイムにはそれほど影響ない。

しかし、すっとレースに入れると、その後の走りも全然違う。

今日は、序盤から完全にいい流れだった。

スムーズに加速しながら身体を徐々に起こしていく。

つなぎの走りがかなりうまくいって、スピードに乗っているのが分かった。

ギアチェンジがさくっといったような感じだ。


タータンの反発力を使って足を回転させ、一歩一歩、すべてを推進力につなげていく。

関カレから1ヶ月。

ベストではないけど、コンディションは徐々によくなってきていた。

スピードのかかりは、まずまずといったところだろう。

新しいスパイクは軽く、動きを楽にしてくれていた。

全体的に、まだベストではないが、かなりいい走りができているような気がした。


(う)


それでも、斜め左に数名の選手が見えた。

2mほどリードしているのは、誰だろう。

あのユニフォームは、北海道ACだ。

日本歴代2位の記録を持つ、玉城豊に違いない。


(速すぎんだよっ!)


ウッシッシとか言っていたくせに。

まるで、背中にジェットでも積んでいるようなスピードだ。

序盤でリードを許し、じりじりと離されていく。

玉城豊だけではなく、さざ波のように、選手の塊が僕の前を駆け抜けていった。

得意の後半は盛り返したのだが、結局、僕はかなり後ろのほうでゴールした。


速報タイムで10秒08が出ていた。


「うへっ」


思わず声に出してしまう。速すぎだ。

ベストタイムが10秒20くらいの人とはそこそこ勝負になる。

だけど、0台の人とは勝負にならんとです…。


何人かと握手をして、電光掲示板に注目する。

追い風0.2m。

1着が玉城豊で10秒08、2着が後藤俊介で10秒21。

3着が浅田次郎で10秒23、4着が本間秀二で10秒26。

僕は、10秒33という好タイムなのに5着だった。


「なんぞこれ」


6着だった土井恒星が呟く。

それくらいの、高速レースになってしまった。

4着まで10秒2台というのは、国内では見たことがないかもしれない。

追い風2.0mなら9秒台出たんじゃないのってレース。


「わーい。B標準突破」


呼吸を整えながら、4着の本間君が乾いた声で言って、僕は思わず笑ってしまった。

代表は3人まで。

いくらB標準を突破したからといって、4着以下では意味がない。

 

そしてまた、世界に向けてのタイムアタックがかなり白熱してきた。

10秒1台を出さないと選ばれないかもしれない。

つまり、厳しい。

厳しいっす…。


「きついなあ」


「きついっすねえ」


「うーん。10秒1くらい出さなきゃな…」


「まあそのくらい出さなきゃ、予選も突破できないすけど」


「うむ」


うなずいたが、世界選手権に出たときのことを心配している余裕はない。

まずは出ることが難しいのだ。


「なかなか、世界への道は厳しい」


本間君が呟いたけど、まさにそのとおりだった。

そりゃ当たり前。

日本全国で、最大3人しかいけないんだからね…。

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