132話 比較的あっさりと


遊んでばかりいられないので、アップに戻る。


サブトラックでは、参加選手がアップを続けていた。

日本選手権への、あるいは世界へ向けての大事なステップレース。

玉城豊、後藤俊介、浅田次郎など、かなり速い選手がそろっている。

簡単なレースにはならないだろう。


「あっ、星島君星島君」


そろそろコールなので、荷物の準備をしていると、新見に声をかけられた。

いつもの笑顔だった。


「ん?」


「立って立って」


「何?」


「えいっ」


立ち上がると、いきなりぎゅっと抱き締められる。

今日は何か、こういう日なのかもしれない。


「充電ね、充電」


「うん」


「ぎゅってして」


「ぎゅーっ」


ちょっとだけ抱き締めあって、すぐに離れる。

ちょっぴり照れくさそうな新見。

周囲の視線がちょっと気になるところだ。


「ありがと。効果あるといいなあ」


「調子、どうなの?」


「ま、調子はあれだけどね」


「そっか…」


一瞬、暗くなりかけたけど、あえて腹に力を入れた。

落ち込んでいてもしょうがないのだ。


「頑張ろう!」


「うん。星島君も、ガンバ!」


「うっし。おらはいくだ」


「いってらっしゃーい」


新見の応援を背に、リュックを背負ってコールに出かける。


招集所には、早めに到着した。

スパイクのピンを締め直す時間があった。

最近はもう、5分前行動が身に付いている。

ミキちゃんの教育の賜物だ。


やがて、男子100mに出場する選手がぞろぞろ集まってくる。

一瞬、浅田次郎と目が合ったけど知らんぷりをする。

なるべくなら相手にしたくない。


「星島」


声をかけられて、顔を上げると柏木さんだった。

絹大のOB。元キャプテンだ。

現在の所属は東南銀行。

ケガの影響もあって出遅れているが、徐々に調子を上げてきているようだ。


「あ、お疲れさまです」


「どうだ、調子は」


「まあ、ぼちぼちです。ケガはいいんですか?」


「だいぶな。何とかB組に入れてもらったよ」


柏木さんは相変わらず2枚目だった。

気のせいか、精悍さが増しているように見える。

社会人になってまだ2年目なのに、ものすごく大人に見えた。


「関カレ、惜しかったな」


「あ、はい」


「女子は、千晶が抜けたのが大きかったか」


「そうですね。真帆ちゃんとか頑張ったんですけど」


「インカレは差し入れ持って応援行くよ」


「マジすか。みんな喜びますよ」


「本当か?うっとうしいの来るって思ってるんじゃないのか?」


「いやいやいや」


高柳さんが来るならそう思うでしょうね、と返事をしようと思ったけどさすがに自重した。


柏木さんと軽くおしゃべりをしながら待っていると、誘導係員がB組を呼びに来る。

もう始まるようだ。


「よし。お仕事だ」


「ガンバです」


B組の選手がトラックに向かっていく。


A組も、そろそろだろう。

うろうろしながら待っていると、浅田がニヤニヤしながら僕を見ていることに気が付いた。

よく分からないが、関カレを連覇して調子に乗っているのだろう。

いちいち相手にしないことが肝心だ。


しかしまあ、豪華な顔ぶれだ。

北海道ACの玉城豊は、去年の日本選手権の優勝者。

おととしの世界陸上にも出た選手だ。

10秒02というベスト記録を持っているトップアスリートである。


鳥羽化学の後藤俊介は、インカレ4連覇の、世代最速選手。

去年の日本選手権では2着に入った。

今、勢いのある昇り龍と言っていいだろう。

おととしの世界選手権では日本人で唯一、100mで予選を突破している。


神奈川陸協の土井恒星は、200mでオリンピックに出たこともあるベテラン。

世界陸上では決勝に進出したこともある、世界レベルのスプリンターだ。


あとは、世界ジュニア銅、去年のインカレの覇者の本間君。

それに関カレ連覇の浅田次郎。

僕を含めて残りの3名は、まあ刺し身のツマのようなものだ。


「さーて。そっろそろかなーっと」


誰にともなく、玉城豊が言って立ち上がる。

どちらかといえば細身の選手だ。


「おい、後藤チャン」


「何ですか」


「車買ったの?」


「まっだでーす」


「まっだでーす。ヒッヒッヒ」


「ウッシッシ」


「今日、どうよ?」


「またっすかあ」


「いいだろ、帰り」


「ウッシッシ」


「ヒッヒッヒ」


何が面白いのかよく分からないが、楽しそう。

トップアスリートだからといって、二枚目でなければいけないというわけではない。

2人とも変な笑い方だし。

玉城豊はおっさん顔だし、後藤俊介はゴリラ顔なのだ。

ま、顔で走るわけじゃないからいいんだけど。


5分ほどたつと、やっとA組の選手が呼ばれて、僕はリュックを背負い直した。


トラックに出ると、ちょうどB組が終わったところだった。

何だかんだいって柏木さんが勝ったようだ。

大型の電光掲示板に10秒31の記録が表示されている。

調子はいまいちらしいが、さすがのタイムだ。

少し追い風らしい。

タータンが柔らかいような気がするが、コンディション自体はいいようだ。


(よっしゃ)


9レーンに入って、とりあえずリュックを置く。

大外は嫌だなあなどと思いながら、スターティングブロックを合わせる。

ポジションについて微調整をして飛び出してみる。


惰性で少し走っていくと、どこからか黄色い声が聞こえてきた。

なんだろう。

ああ、そうか、女子走り高跳びやってるのか。

第1コーナーと第2コーナーの真ん中辺りに、水沢さんが立っている。

そこに向けて女の子の黄色い声援が飛んで、それから自然と手拍子が起こった。


水沢さんが、テンポよく助走を起こす。

リズミカルにスピードを上げていってふわりと身体を浮かせる。

今、陸上界を沸かせているシンデレラガール。

鮮やかなフォルムで弧を描き、バーの上を通過していく。

技術はよく分からないけど、とにかく美しかった。


「うわーっ!」


大きな声援が起こる。

何事かと思ってよく見ると、バーの高さは日本記録の197センチを示していた。

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