127話 男子100m決勝


その後、係員に誘導されてトラックへ。


僕たちを待っていたかのように、曇り空から太陽が顔を覗かせた。

大きく二度、意識的に呼吸をしてスタート地点へ。

僕は観客席に近い外側の7レーンだ。


ざっと電光掲示板を見ると、真帆ちゃんは11秒51で2着に入っていた。

かなりの好タイムで2位。文句の付けようがない。

あっちょんぶりけな加奈は、12秒12で5着。


「なんだ、今日も星島の横か」


肩と首をぐるぐる回していると、なれなれしく話しかけてきたのは浅田次郎だった。


「なら楽勝だな。横が速いと嫌になるけどよ」


とりあえず、相手にはしないことにする。

もしかすると、言葉で相手を牽制しているのかもしれない。

もしそうだったら、気にするだけ損だ。


「ちぇっ。無視かよ」


無視されて当たり前のことを言っておいて、浅田次郎は吐き捨てるように毒づいた。


スターティングブロックを合わせて、軽くダッシュをする。

戻ってきて微調整するとスパイクを履く。

もう一度スパイクのひもを締め直す。

絹山大学の白と赤のジャージを脱いでリュックに入れると、レーン番号を腰に貼る。


もう、出番だ。


(いよーし、やったるで)


場内に選手が紹介されていく。

7レーンの星島望が紹介されるとどこかで歓声が起こる。

女の子ならよかったのだが、男の声だった。

聡志とか織田君とか金子君とかベースマンとか、たぶんその辺りだろう。

メシを賭けている十文字の声も混ざっていたかもしれない。

野太い声援だった。


不思議なもので。

ちょっと前まで、僕は聡志たちがいる当たりで、柏木さんや高柳さんを応援していた。

それが今、立場が逆になっている。

それが何か、表現は難しいが、とても趣深く感じられた。


(よし)


心の中で、気合いを入れ直す。

 

身体はまだぴりっとしないけど、魂で走ってやろう。

それが、絹山大学陸上部の代表として、ここに立っている僕の使命だ。

そしてそれが伝統になるのだと思った。



「on your mark」



大きく、呼吸をしてそれからスターティングブロックに向かう。


まだ多少のざわめきはあったが、すぐに国立競技場は静まり返っていった。

ゴール方向に目をやると、遠くもなく近くもなく、いつも通りの距離だった。

ラインの手前に手を付いて、スターティングブロックに足を乗せる。

オレンジ色のタータンが、今日はやけに明るく見えた。



「set」



電子音が鳴った瞬間、最初で最後の関カレの決勝が始まった。

スタートは、ベストではないがベターだった。

そこからの加速は、ベターではないがまずまずだった。


4レーン、本間君が序盤から押していって、僕から見てもトップなのが分かった。

絹山大学の濃紺のユニフォームが、視界の端で躍動して先頭を駆け抜けていく。

明らかに序盤からリードされていたけど、焦りはなかった。


僕はまず、それを認めることにした。

本間君は、僕より上だ。

少なくとも今の段階では、だ。


問題は、自分の走りだ。

ゆっくりと身体を起こしていって、加速区間に移行する。

悪くはないなと思った。

動き自体は悪くない。

ただ、パワーとスピードはなかった。


普段はそんなこと気になったこともないのに、スパイクが重く感じられた。

ほんの一瞬、雑念がよぎってまたどこかへ消えていく。

どこかはるか彼方から声援が聞こえてきて、僕の頭の上を通過していった。

自分の心音のほうが大きく聞こえていた。


やがてそれも聞こえなくなり、いつの間にか、僕の五感は失われていった。

それが、どのくらいの時間だったのかは分からない。

はっと気付いた途端、内側から誰かが出てきた。

浅田次郎なのはすぐに分かったが、気にはならなかった。


欲はなかった。

自分のスプリントに集中しようと思った。


そのおかげか、抜かれたようで抜かれていないようで、大きなリードは許さなかった。

以前よりも粘りが増したように思えた。

同じような展開だった、去年のインカレの経験が生きたと思う。

最後は、30センチぐらいの差を許してしまっただろうか。

それでも、浅田次郎と並ぶようにしてゴールを駆け抜けた。

さらにその隣に、ほとんど差がなく本間君がいた。どっちが勝ったのかは分からないが、おそらく、僕は3着だろう。


(ふう…)


速報タイムで10秒31なので、僕も10秒4台前半が出ているかもしれない。

 

ゴール地点に戻ってきて、ルーキーの武藤清春と軽く握手をする。

本間君が腰に手を当てて息を整えている。

お疲れさんと声をかけると、難しい顔で軽くうなずいた。

納得がいかなかったらしい。


「B標準、遠いっすね」


「あ、そっか」


そういえばそんなこともあったのだ。

集中しすぎていてすっかり忘れていた。


しばらく待っていると、結果が表示される。

僕は3着で10秒41。

向かい風1.2m。

この調子と風にしては、まずまずかなというところだ。

 

本間君が、10秒34で2着。

そして優勝は、辰川体育大学の浅田次郎で10秒31。

これで浅田は関カレ連覇達成。

辰川体育大学が、男女100mでアベック優勝を飾った。


また、浅田次郎がでかい顔をしそうだと思って、ちょっとブルーになった。


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