125話 音頭


準決勝の後。

ダウンを終えて、待機場所に戻ってくると、ミキちゃんが眉毛を持ち上げて待っていた。


「何、あれ?」


「え、いや、アハハ」


僕は笑ってごまかしたけど、ミキちゃんの眉毛は簡単には下がってくれなかった。


スタートで失敗して、加速がスムーズにいかなくて。

硬くなってしまって途中はめちゃくちゃで、しかも後半バタバタで10秒64。

ぎりぎり4着には入ったけど、何だか、2年前の僕に戻ったようなスプリントだった。


点数を付けるなら…、いや、点数など付けれたものではない。


「しっかりしてよ。みんなの代表なんだから」


「ごめんなさい…」


「猛省しながら食べなさい」


例によって、バナナとカロリーメイトをもらう。

ミキちゃんが仕事に戻っていって、待機場所にいた1年生女子2人にくすくすと笑われた。

まあ、恥ずかしいけど仕方がない。

好調だった十文字ですら5着で落ちてしまったし。

やはり、スプリントは一筋縄ではいかないものだ。


原因は、自分でも分かっている。

スタートでいきなり腰が浮いてしまったのだ。

それで、軸がぶれて重心がうまく移動できず、スムーズな加速につながっていかなかった。

加奈の得意技「わちゃっ」状態に近いものがある。

あれよりはまあだいぶマシだけど。


「お腹すいーたっ、お腹すいーたっ」


節を付けて、大騒ぎしながら当の加奈が戻ってくる。

残念ながら落選した佐々木陽子と一緒だった。


「ちょっとだけ、何か食べよっかな?」


「加奈ちゃんは食べ過ぎるからダメ」


「えーっ。そんなことないもん!」


「あたしは焼き肉でも食べてこようっと」


「あーん。焼き肉の匂いとかさせてたら、陽子ちゃんのこと食べちゃうかも!」


「本当に食べられちゃいそう…」


決勝まであと3時間。

加奈たちがおしゃべりするのを聞きながら、青いシートの上に横になって目を閉じる。


だけど5分もしないうちに、ばしばしっと肩を叩かれて僕はびくっと体を動かした。

ちょんまげ頭の真帆ちゃんだった。


「寝たら駄目っしょ」


「あ、うん」


「はい、起きて起きて」


「うーん…」


「ちょんまげアターック!」


ちょんまげでほっぺたをぐりぐりされる。


レース前に身体を眠らせてしまうのは駄目なのだ。

仮眠しようと思ったんだけど、仕方なしに身体を起こしてバナナをもぐもぐと食べた。

よく熟していて美味しかった。

国産ものらしい。


「あー。ラーメン旨かった」


「旨かったな」


嫌みったらしく言いながら、十文字と横井が戻ってくる。

僕のお腹がぐーっと鳴って、女子が声に出して笑った。

慌ててカロリーメイトも食べてスポーツドリンクを飲んだけど、お腹も心も満たされることはなかった。


休憩と運動と眠気覚ましを兼ねて、スタジアムの外を少し散歩する。

3時間というとわりとたっぷりあるように思えるけど、うろうろしていると意外とすぐだ。

散歩して、すぐに飽きてスタンドで聡志や織田君と応援をして、金子君と一緒にベースマン寺崎をからかうと、それだけで1時間は過ぎてしまう。


「そろそろアップいかねえの?」


聡志に言われて時計を見て、それから僕は伸びをした。


「うーん。行くか」


「準決みたいなみっともないレースしないように」


「うるせっ、うるせっ」


ぺっぺと聡志につばを吐くふりをして、一人、スタンドを降りる。


微風で、ちょっと気温が低いがコンディションは悪くない。

せっかくの決勝だし、確かにみっともないレースはしたくない。


待機場所に行くと、ミキちゃんが自作のお弁当を食べていた。

単なる今朝の残りものなんだけど、卵焼きにしょうが焼きにシャケの切り身。

シンプルだけどすごく美味しそうだった。

特にこのしょうが焼きは、味付けが絶妙なのだ。

なぜか知らないけど冷めてもお肉が柔らかいし、ご飯が進むことこの上ない。


「いいな。美味しそう」


思わずよだれを流しそうになってしまう。


「駄目よ。あげない」


「一口だけ」


「駄目だってば」


手を伸ばすとぴしゃりと叩かれる。

横目で見ていた新見たちに笑われてしまった。


「我慢しなさい。今日はごちそうつくってあげるから」


「え。ごちそう?」


返事をしたのは、僕ではなく新見だった。


シートの上に座ったままするすると近寄ってくる。

それを真似て、水沢さんもニコニコずりずりと近寄ってきて新見の横に並んだ。

真帆ちゃんも水沢さんに倣って、3人が横に並ぶ。

みんな体育座りで、大昔に一瞬だけ流行った何とか三兄弟みたいだ。


「久々に、ミキちゃんの料理食べたいなあ」


「食べたいなあ」


「食べたいなあ」


新見を中心としたシュプレヒコール。


「いつも星島君ばっかり、ずるいなあ」


「ずるいなあ」


「死ねばいいのに」


最後、真帆ちゃんのセリフがちょっと気にかかったけど、まあいいだろう。


「関カレ終わったら打ち上げしない?」


新見がじいっとお弁当を覗き込みながら言った。

でも、ミキちゃんはご飯を食べ続けるだけで、返事をしなかった。

黙って僕を見ているだけで、いいとも悪いとも言わない。


しばらく、黙ってミキちゃんの返答を待っていたけど、気付いて僕は自分を指差した。


「え、おれが決めるの?」


「あ、ここの夫婦は星島君に主導権あるんだ」


「そうでもないけど。いいのかしらね?」


聞くと、ミキちゃんはこくんとうなずいた。

夫婦と呼ばれて、少し恥ずかしそうな顔をしていた。

今がチャンスと思って卵焼きに手を伸ばしたけど、あっさりと叩き落とされる。

みんなが笑って、僕もミキちゃんも同じように笑った。


ミキちゃんが声をあげて笑いました。

もう、それだけで満腹だった。

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