121話 新兵器


4月末の土日、久々に都心に出た。

杏子さんが、自分のスパイクをつくるついでに、僕のもつくってくれるらしい。


「おはよーっす」


「ういす…」


ミキちゃんと一緒に電車に乗って、新宿駅に到着すると、杏子さんが出迎えてくれた。

珍しいこともあったものだと思ったら、寝坊して、今来たところらしい。


「うー。頭いたーい…」


もう今にも倒れそうな顔をしている。

顔が青いです。


「また二日酔いですか」


「最近、お偉いさんのとこ回っててさ」


何か、いろいろ社長業が忙しいようだ。

今日だって、社長業の一環とも言える。


「練習は?」


「してるよ。星島の倍はしてる」


「うぐ」


「もうとにかく、あれがあれでさあ…」


例によって陸連批判が始まったけど、それはまあ割愛。

乗り換えをしようとすると、電車は嫌だとか杏子さんがぶつぶつ言い始める。

仕方ないので、改札を抜けてタクシーに乗った。


目的地は、国立競技場の手前のライテックスジャパンスポーツ科学センター。

10階建てぐらいの、立派な茶色いビルだ。


受付の人に声をかけて、3人で受付のところのソファーに座って待つ。

杏子さん、ライテックスをさっさと退職しちゃったけど、こんなとこ来ていいのかな。

こう、裏切り者みたいに思われてないのだろうか。


「うー…」


うなって、杏子さんがこてんと僕の肩に頭を乗せた。

ちらりとミキちゃんに見られたので、そっと、その頭を押して元の位置に戻す。

それでまた杏子さんがぶつぶつ言い始める…。


「や、お待たせ」


しばらく待っていると、40歳くらいのスーツを着た中年男性が出てきた。

まだ若いが、スポーツ科学センターの技術部の部長さんらしい。


その人に連れられて奥に行くと、トレーニングジムみたいなところがあった。

千晶さんと亜由美さんがいる。

千晶さんは、足のサイズを測っているのか、型をとられているのか?

亜由美さんはマシンの上で走らされている。

何だかよく分からないけど、科学的だった。


「あの、杏子さん」


驚きながら、一応、確認してみる。


「スパイクつくるって、ひょっとして、特注品的な?」


「うん」


「うぬおっ…!」


デザインとサイズだけをちょろちょろっと変えたやつだと思っていた。

そうではなかった。

世界のトップアスリートがやっているようなオーダーメイドだ。

まさしく自分専用のスパイクだ。

世界に2つとない、特注品である。


世界記録保持者、ロジャー・キングダムのスパイクは百万ドル単位のお金がかかっているとも聞くが…。


「あ、あの、お金は?」


「お金は、その人が払うから」


杏子さんに指差されて、部長さんが苦笑した。


「僕のお小遣いじゃ払えないよ」


「そ、そんなに高いんですか」


「それもあるけど、僕のお小遣いだと、2万円のスパイクを買うのだって大変」


あれ…。

ひょっとして、将来の僕ですか?


「いいでしょ。3足も4足も変わらないじゃない」


「そういうわけにもいかないんだけどなあ」


杏子さんに言われて部長さんがぼやく。

だけど最終的に、渋々ながら承知してくれた。

その前にさんざん杏子さんがごねた結果として。


「まあ、仕方ないか。その代わり活躍してよ」


「は、はい」


何だかけっこう無茶な約束をさせられて、僕も足のサイズを精密に測られた。

やると決まったら徹底的にやる、プロの仕事だった。

足の指の力とか、そういうところまで測るらしい。

マシンの上で走ったり、筋トレみたいなことをさせられたり、実験体になった気分だ。


その後、データの分析に時間がかかるということで、みんなで昼食に行く。

今日は、あっさりとおそば。

しばらくしてから帰ってきてまたモニタリング。

かなり時間がかかった。


それで、やっと終わったと思ったら、最後に部長さんから言われた。


「じゃあ、来週またやりますので来てください」


危うく、お昼に食べたそばが鼻から出るところだった。

来週くらいには出来上がってくるだろうとか思っていたからだ。


「来週もですか」


「来週も。急いで試作品をつくるから」


「あ、はい」


「言っとくけど、スパイクつくって終わりじゃないからね。本当のフルオーダーメイドっていうのは、引退してスパイクを脱ぐまでだから」


きっと、この仕事に自信と誇りを持っているのだろう。

お腹でも出ているし、少し髪も薄くなった普通のおじさんだけど、かっこよく見える。

お小遣いも少ないみたいだけど、いいじゃないですか。

別に、貧乏だって、いいじゃないか!

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