119話 新見にも


全部、新見に見られていたらしい。

何か弁解しようと思ったけど、先に弁解されてしまった。


「ごめんね。ご飯誘おうと思ったんだけど」


「あ、うん。いや」


「あれが噂の充電かあ」


「え。噂って?」


「いつも咲希ちゃんが言ってるから。みんな知ってるよ」


僕はがくりと肩を落とした。

水沢さん。

杏子さんじゃないんだから…。


まあ、悪意があるわけではないし、そこが水沢さんのいいところでもある。

あれが全部計算だったら希代の悪女になれるが、そうではなさそう。

だって、そもそもそんな計算をする意味がない。

別に小手先の技を使わなくたって、水沢さんなら直球で十分勝負になるからだ。


「あたしも、してもらえばよかったかなあ…」


呟くように新見が言って、僕は慌てて両手を開いた。


「うん、いいよ。どんとこい」


「あはは。本当にしちゃうよ」


「うん」


「よーし。いきますっ」


2年前の僕が知ったら、卒倒するかもしれない。


新見が笑顔で手を広げたので、そっと抱き寄せる。

水沢さんとのときみたいにムードも何もなかった。

でも、新見はぎゅうっと僕を抱き締めてきた。

さすがにトップアスリートだけあって、包容力が強かった。


「うん。いいかも」


胸の中で、新見はつぶやいた。


「いいなあ、ミキちゃん。あたしも彼氏欲しいなあ…」


応援したいような、応援したくないような。

黙っていると、新見は顔を上げて少し恥ずかしそうに笑った。

それから手の力を緩めて、僕が手を離すと半歩下がる。


「彼氏ができるまで、星島君に充電してもらおうかな?」


「うん。まあ、ミキちゃんに怒られない程度に…」


「あははは。怖いからねえ」


「怒らせるとご飯食べさせてもらえなくなるよ」


「それは、困る!」


新見はあははと笑った。


「それはそれとして、ご飯行かない?」


「うん。牛丼?」


「あはは。何でもいいけど」


「えと、織田君と一緒に行く予定だったけど…」


「みんなで行こっか」


「そうするか。えーと、金子君とベースマンと栗林君と宝生さんと…」


「宝生さん、行かないんだって」


「そか。もうちょっと仲良くできないかなあ」


僕が言うと、ぽくっと、足元の石を新見が蹴飛ばした。


「うーん。前よりは、ちょっと慣れてきたみたいだけどねえ」


「まだ目が怖い」


「あははは、怖いかも。怒らせたくない」


そんな話をしながら、二人でサブトラックを歩いていく。


近くのファミレスに行こうという話になって、みんなと合流して国道のほうに出る。

途中で、財布の中身をちらりと確認。

珍しく1万円札が入っているからどうにかなりそうだ。

そういえば昨日、ちょっとだけ銀行からおろしたんだった。

7人くらいなら何とか大丈夫…。


「あははは。おごれとか言わないから」


見ていたのか、新見が笑う。

慌てて財布をしまうと、真帆ちゃんが僕を見上げてふんっと鼻を鳴らした。


「甲斐性なし」


「ふーん。あ、こんなところに日本刀」


ぐりぐりとちょんまげを引っ張ると、真帆ちゃんは慌ててじたばたとした。


「ピョーッ!それで武士道は語れません!」


真帆ちゃん、グーで反撃。

まあ本気で殴り合いをするわけじゃない。

じゃれあってるだけだ。


真帆ちゃんと、びしばしボクシングのまねごとをしながら、ファミレスへ。

4人掛けのボックスを2つ占領してご飯を食べる。

ファミレスだけど、おいしい店。

いちごミルクがうまいのだ。

ミキちゃんがいないので、ここぞとばかりに注文。


「おや。星島君じゃないですか」


食べ終えて、店を出ようと立ち上がったところで、老紳士に声をかけられた。

入り口のそばの席。


走り幅跳びの金メダリストにして元世界記録保持者、戸川正晴先生だ。

びしっとスーツをきめていて、真っ白な髪が目立つ。

稲森監督も一緒で、どうやら二人でご飯を食べに来たようだった。


「ど、どうもご無沙汰しております」


慌てて姿勢を正す。

新見も織田君も金子君も栗林君も、ベースマン寺崎でさえびしっとおじぎをしたけど、真帆ちゃんは誰なのか分かっていないようだった。

前に戸川先生と会ったときのミキちゃんの気持ちが、よく分かった。


横に立っていた真帆ちゃんのちょんまげをつかんでぐいっと頭を下げさせる。

ピヨピヨじたばたしていたけど、知ったこっちゃない。


「調子はいまいちみたいだけど、フォームは格段によくなってますね」


戸川先生はにこにこと言った。

さすがに、ちょっと見ただけで分かるらしい。

そして、覚えていてくれたことがありがたい。


「は」


「頑張ってください。期待していますよ」


「はいっ」


「沙耶さん」


「あ、はい」


「長い人生、すごろくと一緒でね。一回休み、振り出しに戻るなんてことはよくある。だけどそれで勝負が決まるわけじゃない。そもそもストレートであがりなんてこと、すごろくじゃ滅多にないでしょう」


「はい。頑張ります」


「ほかの皆さんも、頑張って」


「は、はいっ」


「それ、よこしなさい」


「は。いえ」


「何、そのくらいいいでしょう」


「はっ。で、では、お言葉に甘えて、ごちそうになります」


恭しく伝票を差し出す。

 

みんなでお礼を言って、ゴキブリのように店を逃げ出した。

陸上選手にとっては、いきなり総理大臣に出会ったとか天皇陛下に声をかけられたとか、そんなようなものなのだ。

何というか、心臓に悪い…。


「誰?あのおじいちゃん」


真帆ちゃんが言って、織田君がちょんまげをつかんだ。


「戸川先生だよ!金メダリストの」


「えっ、えっ、戸川記念陸上の?」


「そうそう」


「ピョーッ!」


今さら慌てて、真帆ちゃんがじたばたする。

何だか、僕のときのリプレイを見ているようだった。

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