118話 日本選手権への切符


2週間後、南関東大学記録会が開催された。

毎年参加している、恒例の記録会だ。


曇り空で若干寒かったけど、僕はまずまず無難にまとめて10秒48をマークした。

2年前と一緒のタイムで、何の進歩もしていないのかなと思う。

まあ、2年前はメーターが最高に振り切って10秒48。

今は、体調的にどん底の状態で10秒48。

全然違うと思う。


ともかく、10秒50を切ったので、日本選手権の切符は手に入れた。


(送信、っと)


ミキちゃんはゼミ関係の用事で今日は来れなかった。

一応、結果をメールで知らせておくと、すぐにおめでとうと返ってきた。

顔文字とかまったく使わないのがミキちゃんらしい。


ちなみに、ほかの参加者はというと、十文字が10秒35と好調をキープ。

織田君は10秒97で公認の10秒台を達成。

めでたい!

ちょんまげ頭の真帆ちゃんは、11秒73の好タイム。


おべっか金子君とベースマン寺崎、金髪スプリンター宝生さんの結果は、割愛。

本人たちの名誉のためにも。


「お——っ」


そして、注目が集まる中。

絹大の最終兵器、前原加奈が11秒37の素晴らしい好タイムをたたき出した。

日本歴代3位。

世界陸上の参加B標準を突破する堂々たるタイムだ。

これが本番で発揮できればと、見ていた全員が思ったと思う。


一方で。

日本記録保持者の新見沙耶は、12秒75に終わった。

マスコミの方々は残念そうというか、がっかりした表情だった。

今シーズンも、新見は駄目だと判断したに違いない。

彼女はもう駄目だと、思った人も少なくないはずだ。


「お疲れさまでーす」


一緒に見ていた詩織ちゃんが、ポニーテールを揺らしながら声をかける。

だけど、新見に笑顔はなかった。

詩織ちゃんからスポーツドリンクを受け取って、一口飲むと大きく息を吐く。


密着取材のテレビカメラがやってきて、新見の姿を映している。

そっとしておいてほしいとも思うが、トップアスリートの宿命かもしれない。 


「はい、星島さん、標準切ったごほうび」


「わーい」


僕のほうにやってきた詩織ちゃんが飴をくれる。

今日のは、よく分からないけど、千歳飴みたいなやつだった。

子ども時代に帰った気分で美味しいのだ。


「はい、加奈ちゃん、B標準おめでと」


「わーい!しおりん大好き!」


「はい、真帆ちゃん、好タイムでした」


「わーい!しおりん愛してる!」


「はい。織田君、10秒台おめでと」


「わーい。しおりん結婚して!」


「…っ」


織田君にまでさらりと言われて、詩織ちゃんは恥ずかしそうに逃げていった。


ぴゅうっと風が吹いて、2つの世界を明確に分ける。

ちょっと離れたところで、金子君とベースマンがひざを抱えて落ち込んでいた。

宝生さんにいたっては、芝生にぺっぺとつばを吐いている。

まあ、やさぐれる気持ちは分からなくもない。


その後、短距離チーム全員でダウンをする。

ダウンを終えると、お待ちかねの昼食の時間だ。

だいぶお腹が空いたので、織田君を誘って何か食べに行こうとしたんだけど、サブトラックを出ようとしたところで呼び止められた。


水沢さんだった。


「星島さん、ごめんなさい、ちょっと」


立ちどまると、織田君が何か変なブロックサインを出して先に歩いていく。

意味はまったく分からなかった。


「まだ時間はあるんですけど、充電お願いしておきたくて」


「え、ああ…」


「向こうで、いいですか」


促されるまま、僕は水沢さんに付いていったけど、なかなか難しい判断だった。


昔はともかく、今はミキちゃんがいるので、ほかの女の子とベタベタするのはまずい。

ミキちゃんだって嫌だと思う。

それに、例によって藤崎小春が目を光らせているかもしれないし。

どうにかして上手に断ろう。


「星島さんに充電してもらうと、記録が全然違うんです」


僕の葛藤に気付かないのか、水沢さんは無邪気に言った。


「そうだっけ…?」


「そうです。日本選手権のときと、チャレンジ陸上のときと。関カレもインカレもアジア大会も、全然駄目だったのに」


「そっか。そういえばそうかも」


木の陰に連れてこられる。

まあ、そういうことなら、このくらいはいいだろうか。

いいよね。

ハグするくらい、別にいいよね。

欧米じゃ当たり前だもんね。

ここは日本だし僕は日本人だけど、気分は欧米でいいじゃんね。


そんなふうに正当化をしていると、真っすぐ見つめられて頭がぐるぐるしてくる。

おかしくなる前に静かに深呼吸をして、ぎゅっと水沢さんを抱いて背中に手を回す。

相変わらず華奢だったけど、ものすごく温かかった。


1分間か、2分間。

いつもより長いような気がしたけど、やがてふっと水沢さんが顔を上げて

恥ずかしそうな顔をした。


「充電、できました」


「そう。よかった」


「これで、何とか跳べると思います」


「うん。頑張って」


「はい。ありがとうございます」


会釈をして、水沢さんが小走りで離れていく。

だらしなく目尻を下げてそれを見送り、しばらく余韻を味わう。

それから我に帰り、僕もご飯を食べようと思って芝生の上を歩き出すと、木の陰でさっと何かが動いた。


(ん?)


誰かいる。

注視して、木の裏のほうを見ようと動くと、ささっと人影が動く。

さらに歩いていくと人影も動き、最後には2人ともぐるぐる回ってバターになってしまいそうになった。

 

だけどやがて、人影は木の根っこにつまずいてよろめき、回るのを諦めてあははと笑顔を見

せた。

新見だった。

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