112話 杏子の社長業


珍しく落ち込むミキちゃんを慰めながら、二人でマンションに帰る。


広すぎるホールから、大きなエレベーターに乗って11階へ。

ドアの鍵を開けて中に入ると、玄関に見知らぬ靴があった。

まあ、誰かは想像がつく。


「おかえりぃ」


杏子さんがソファーでごろごろしていた。

勝手に(?)入ったらしい。

テーブルの上にポテトチップスの袋があって、だらしないかっこうでポリポリ食べている。

最近、1週間に1回は顔を出している感じだ。


「鍋食べたーい」


僕たちを見て、猫みたいにうーんと身体を伸ばす。

変わらずの傍若無人ぶりだ。


「邪魔なら帰るけど」


「何鍋がいいですか」


毛布を持ってきて杏子さんにかけてあげながら、ミキちゃんが尋ねる。

杏子さんはまじめな顔で考えていたけど、やがて軽く首をひねった。


「魚のつもりだったけど、なんか急に肉が急浮上?」


「鶏肉にしましょうか」


「牛がいいな。国産和牛のおいしいとこ」


「そんな鍋はうちには存在しません」


「お金出すから買ってきて。たまにプチ贅沢しないとパワーが出ない」


ミキちゃんが思案顔でキッチンに向かうと、杏子さんは足をぱたぱたさせた。

ずりずりやってきて、僕の足を枕代わりにしようとする。


「今年は、一応ミキに気を遣って、星島専用チョコはなーし」


「はあ」


「その代わり、おっきいザッハトルテ買ってきたあ」


「何だっけ。チョコケーキ?」


「そそ。美味しそうだったから」


ミキちゃんがコーヒーを入れて持ってくる。

身体を起こして、杏子さんはコーヒーを一口飲んだけど、少し熱かったらしい。

ひりりとした表情をして、それから持っていた書類をまとめてぽくぽくと僕の頭を叩いた。


「全然、まとまらなーい」


「何ですか」


「賞金グランプリ」


「ああ。やっぱ大変なんだ」


「どうしたってお金がね。賞金なしでやるならできるんだけどさ」


普通の大会なら、ほとんどお金をかけずにできると思う。

でも、それだとそのへんの記録会と一緒になる。


一流の選手を集めて、賞金を出して、観客を入れて、最高のパフォーマンスを見せる。

そのへんはヨーロッパのグランプリを真似たいところだ。

しかし、日本では陸上競技はマイナースポーツの部類に入る。

日本だけじゃないかもしれないけど。

とにかく、スポンサーを付けるのが大変なのだろう。


「何かいいアイデアない?経済学部でしょ」


「そんなこと言われても」


経済学部って言ってもね。

なんちゃってだしね。


「役立たないなあ。誰かいないの、数字に強い人」


「いませんねえ」


「ゼミとかでいるでしょ」


「いるのかなあ…」


「探してきたら、500円あげるから」


500円か。

悪くない話だ…!


「いないかなあ。数字に強くてアイデア豊富な人材は」


「いませんねえ」


コーヒーを飲みながら答えて、僕はすぐに撤回した。


「いや。いることはいるのかな…?」


「呼べ!」


「いきなりですか…」


「誰でもいい、呼んでくれぃ」


「役に立つかどうか分からないけど」


「風だ。かすかでいい。新しい風を吹かせるのだ!」


「何それ」


「東から来た風とともにぃ、ニッポンの夜明けがぁ」


分からないけど何かの物まねをしながら、杏子さんは僕の頭をぽくぽくと叩いた。

スマホをとりだしてぽちぽちとSNSで連絡する。


ミキちゃんがキッチンから顔を出して、バッグから財布を取り出した。

慌てて杏子さんが財布を取り出して、ぴらっと万札を切る。

2枚も。

それだけあったら、僕なら1カ月くらい生きていけそう。


「そんなに要らないですよ」


「ビールも。ほら星島、荷物持ち」


言われたけど、僕は手で2人を制した。


「あ、大丈夫。ついでに頼むから」


「誰に?」


「ナニワのあきんど」


30分後。

変なポーズをしながら、知香ちゃんが我が家のリビングにやってきた。

呼んでないのに、買い物袋を下げた新見も一緒。

ミキちゃんの料理が食べられるので、満面の笑顔だった。

0コメント

  • 1000 / 1000