111話 血のバレンタイン(未遂)


今年のバレンタインデーは豊作だった。


昼、学食で新見と知香ちゃんと千晶さんに会って、それぞれから貰った。

まさか、知香ちゃんから貰えるとは思っていなかった。

「いつもごちそうになってるから」と珍しく優しかった。

まあ、お返しを期待しているのだろう…。


それに、練習前に亜由美さんもくれた。

亜由美さんもアサミACに入社するので、今後ともよろしくという意味のようだ。


「星島さん、チョコあげる」


「あたしも」


練習後、部室に戻ってくると、真帆ちゃんと詩織ちゃんにも小さいチョコをもらった。

むきだしのままで、どう見ても30円のチョコなんだけど、気持ちはうれしい。


「わーい。あんがと」


「織田君にも」


「わーい」


「橋本さんのぶんはないです」


「わざわざオチつけなくていいから!」


聡志が騒いで笑いが起きる。

いたって平和だ。


男3人、更衣室でニコニコしながら着替える。

例え30円のチョコレートだったとしても、貰えないのと貰えるのとでは大違いだ。

女の子からの好意は、それが例え恋愛につながらなくても、ものすごくうれしい。

男なんてちょろいです。

30円で操作できます。

マジで。


「やー。今日は美味しい酒が飲めそうだ」


聡志はうれしそうに言って、織田君に笑われていた。


「チョコで酒飲むんすか」


「飲むよ。ウオトカな!」


「通っぽい言い方っすね」


「ロシア人だからな!」


「あ。ついに認めた…」


更衣室から出ると、聡志と織田君を見送って、部室の入口付近でミキちゃんを待つ。

スマホをポチポチいじっていると、女子更衣室のほうから抱えた水沢さんが出てきた。

大きな紙袋を2つ持っている。

モテすぎです…。


宝生さんほか何人かの女の子に囲まれていて、僕を見るとやや首を斜めに傾けて微笑する。


「お疲れ様です」


「うん。お疲れさま」


部室を出ていって、周囲に静寂が戻る。

だけどすぐに、水沢さんが早足で1人で戻ってきて、僕に小さな紙袋を手渡した。

珍しく、少し恥ずかしそうな表情で首を傾げる。


「ごめんなさい。迷惑でなければ受け取ってください」


「え、いやいや、うれしいうれしい、ありがと」


「よかった。失礼します」


水沢さんが静かに部室を出ていって、ふと気付くとミキちゃんが隣に立っていた。

何となく面白くなさそうな表情で、眉毛がやや斜めになっていた。

そりゃまあ、ほかの女の子にチョコを貰って鼻の下を伸ばしていたらね。

いい気がしないのは何となく分かります。


でも、そんなに怒ることはないと思うんだけど…。


「よかったわねえ、立派なの貰えて」


そんなふうに言って歩き出す。

かなりとげがある。

ウニなんかよりよっぽど痛そうだ。


「私からは要らないわね」


「またまた…」


「そんなにいっぱい必要ないでしょ。しかもそれ、明らかに本命チョコじゃない」


「え。そうなの?」


「見たら分かるでしょ」


「いや…、よく分かんない」


答えると、面白くなさそうな表情ではあったが、指差しながらいちいち教えてくれた。


「エメ・レナール。メッセージカード。バラの花まで付いてるじゃない」


「そ、そういうもんなの?」


「そうよ。どう考えたって」


「で、でも、ほかの人からもらったのもこんなんだよ」


慌ててバッグを開けて、亜由美さんと千晶さんからもらったチョコを見せる。

詩織ちゃんと真帆ちゃんからもらったやつは30円。

新見と知香ちゃんのはたぶん500円くらいのやつ?


だけど、亜由美さんと千晶さんのはけっこう立派なやつだ。

千晶さんのはちゃんと、メッセージカードも付いている。


「ほらほら」


だけど、ミキちゃんはバッグを覗き込んで、あからさまに首を振った。


「全然違うじゃない。これは普通のチョコ」


「ふーん。エナメールとどう違うの?」


「これは工場生産。高級ブランドのチョコだけど、たくさんつくって世界中に出回ってるの。エメ・レナールは全部手づくりで、横浜の1店舗でしか買えないの。通販とかやってなくて、買うだけでも大変なんだから。並ばないといけないし」


バレンタインとか興味なさそうなわりに、詳しいね…。


「おお。パティシエの人がつくってる感じ?」


「有名なショコラティエよ。チョコ専門の人」


「へえ。美味しいのかな。食べたことある?」


「ないわよ。わざわざ買いに行かないもの」


「そっか。食べたことないな、そんなプロがつくるチョコ」


うまく話をそらしたので、ミキちゃんの機嫌が少しよくなった。


トラックを歩いていって、階段をのぼっていく。

すると、のぼり切ったところに女の子が立っていた。

久しぶりの、藤崎小春だった。


シーズンオフになって、大会もないので、しばらく藤崎小春の姿を見ていなかった。

それが、ヒーローみたいに赤いマフラーをなびかせて立っている。

腕組みをして、仁王立ちで、僕を睨んで。

相変わらず、僕を敵視しているようだったが、まさか僕に用事があるとは思わなかった。


「ちょっと!星島望!」


いきなり、目をつり上げて金切り声を上げる。


右腕を、上に高々と持ち上げる。

そして、それを一気に振り下ろしてびしっと僕を指差した。

あんたにチョコあげる!とは言わないだろうなと思った。


「ふざけんじゃないわよ!」


まるで意味が分からなかった。


「えと。何?」


「ショコラティエ・エメ・レナール!」


「ん?あ、これ?」


思わず、手にした小袋を持ち上げる。

何げなく持ち上げただけだったのに、どうやらそれが自慢たらしく映ったらしい。


「なんであんたが、咲希先輩から本命チョコもらってるのよ!」


「いや、そんなこと言われても…」


「あんた、その性悪女と付き合ってるんだから要らないでしょ!返しなさいよ!」


頭に血が上ってしまっているのだろう。

今度はミキちゃんを指差して、ヒステリックに藤崎小春は叫んだ。

その瞬間、ミキちゃんの周囲の空気が揺らいだ。

やばいかも。

僕はびくっとしたけど、藤崎小春は自分が虎の尾を踏んだことに気付いていなかった。


見ると、ミキちゃんの眉毛が直角ぐらいになっている。

これはやばい。

高柳さんをピストルで撃ち殺したとき以来の急角度だ。


何とかして、どうにかしてとめなければ大変なことになる。

そう思ったときだった。


「ギャーッ!」


いきなり悲鳴を上げたのは、ミキちゃんでも僕でも当の藤崎小春でもなかった。

金髪スプリンター、宝生さんだ。


階段の上。

少し離れたところに何人か女の子が集まっていたんだけど、聞こえていたらしい。

金髪を揺らしながら100m7秒台くらいのスピードで走ってきて、がばっと藤崎小春の身体を抱えて引っ張る。


「え、何、何よ」


何が起こったのか分からず、藤崎小春はきょとんとした表情だった。

宝生さんは、その頭をつかんでぐいっと下げさせると、自分も頭を下げた。


「すいませんっ、すいませんすいませんっ!失礼なこと言ってすいませんでしたっ!代わりに謝りますっ!許してあげてくださいっ!すいませんっ!」


ものすごい勢いで頭を下げて謝る宝生さんと、驚く藤崎小春。


「何、あんた何言ってんの?」


「誰かっ!誰か手伝ってっ!魔王っ…、村上さんが爆発するうっ!」


宝生さんが大声で叫ぶと、慌てて女の子が何人か走ってきて、藤崎小春を抱えて強制的に退場させた。


「ちょっとぉ、何なのよおおおぉぉ…」


冷たい風の中、学生協のほうへ、声と姿が徐々に遠ざかっていく。

呆然と、僕たちはそれを見送った。


ミキちゃんはもう、怒る気も失せたようだった。

トラックのほうから、てくてくと真帆ちゃんと詩織ちゃんが階段を上ってきて、何だろうという感じで道路の向こうを見て、それから不思議そうに僕たちを見た。


「どうかしたんですか?」


詩織ちゃんが尋ねて、ミキちゃんはふうっとため息をついた。


「青山さん」


「はい?」


「星島君に、チョコあげたでしょう」


「え、はい、30円のですけど」


じっと、無言で詩織ちゃんを見つめるミキちゃん。

半歩下がる詩織ちゃんと、その影に隠れる真帆ちゃん。


「あ、え、え、まずかったですか?」


「いいえ。いいのよ、別に。チョコぐらい。全然、気にしてないから」


「そ、そ、そうですか」


「私のこと、影で、魔王とか呼んでるんだって?」


ミキちゃんが言うと、2人はぴょんと飛び上がった。


「ご、あ、ご、ごめんなさーいっ!」


「ゆ、ゆるしてくださーいっ!」


本気の悲鳴を上げて、真帆ちゃんと詩織ちゃんがばたばたと逃げていった。

それを見て、自分でやったくせに、ミキちゃんはひどくがっかりした顔をした。


「私って、そんな怖がられてたのね…」


なんと、自覚がなかったらしい。

それはかなり新鮮な驚きだった。

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