105話 充実の秋と試練の冬


11月末のアジア大会で、今シーズンも終わった。


アジア大会は、日本勢は低調だった。

千晶さんが11秒54で4位に入ったのが最高。

杏子さんは6位、水沢さんは記録なし。

そのほか目立った活躍はない状況だった。


「うー。寒い寒い寒い」


12月の半ばともなると、ウインドブレーカーは必須だ。

 

寒いので、部室にかたまって待機。

聡志やら織田君やら金子君やら、何人か集まったところでトラックに突撃する。

曇り空、風が冷たくて体感的にものすごく寒かった。


「うー。寒い寒い寒い」


一通りアップをしたけど、全然身体は温まらなかった。

聡志とストレッチをしながらうめいていると、織田君に笑われた。


「星島さん、暑いのも寒いのも弱いっすねえ」


「だって、仲浜って暑くもないし寒くもないじゃん。セントラルヒーティングだから」


「ははは、星島さん面白いなあ」


唯一、金子君が得意の愛想笑いをしてくれただけ。

渾身のギャグは通用せず、寒いままだった。

てか、今のギャグなのか…?


「寒いなら、星島さんもこれを」


珍しく、ベースマン寺崎が自分から話しかけてくる。

ぬぼっとした表情で。


「うん?」


「今年の冬の新商品です」


前を走る聡志の背中を指差す。

背中に、米ナスマンのキャラクターがプリントされている銀色のウインドブレーカーだ。


「そんなのまでつくったのか…」


「かなり厚手なので温かい」


「ふーん。いくら?」


「5800円」


「微妙に高いな」


「次の米ナスマングッズの製作費を稼がねば」


「次は何つくんの?」


「米ナスマンアイスですかね」


「…米ナス味?」


「いえ、チョコミント」


ベースマンの感性がよく分からない…。


もたもたしているとどんどん身体が冷えてしまうので、さっさと練習を始める。

4年生はほとんど引退してしまったので、実質的に僕たちが最高学年だ。

実感はないが、あと1年弱で僕の学生陸上が終わることになる…。


「星島さん、気合入ってるっすね」


短距離全員での全体練習中、織田君に言われた。

僕は全然そんなつもりではなかったけど、周りからはそう見えるらしい。

練習すればするほど速くなれるような気がして、今はすごく練習が楽しい。

高校時代の何倍もハードなのに苦にならないのだ。


怖い彼女もできたし、人生がものすごく充実しているような気がする。


「まあ、おれも世界陸上狙ってるからな」


「おお。あ、ひょっとして笑うとこっすか?」


「笑うとこなかっただろ!」


ベスト記録が10秒29、インカレ3位。

実績としてはいささか寂しい。

しかし、来年までに壁をもう1枚、2枚乗り越えれば世界陸上だって夢じゃない。


もちろんそれは簡単な話じゃない。

だけど、ミキちゃんのぶんまで頑張ると約束したのだ。

僕がミキちゃんを世界の舞台に連れていってあげよう。

恥ずかしながら、僕は真剣にそう思っていた。


全体練習が終わるころになって、少し遅れてミキちゃんがトラックに現れる。


「これね」


「うん」


ぴらりと筋トレのメニューを渡された。

課題だった、上半身強化のメニューだ。

今日もハードだ。


と、メニューをチェックしていると、トラック外の道路に白いバンが横付けされた。

中から機材を持った人たちがぞろぞろと出てくる。

そのうちの一人が、稲森監督と何か会話。

その後、スタッフが大きなテレビカメラを手に、階段を下りてくる。

取材か何からしい。


「何だろ」


「新見さんの密着取材だって」


「ふうん…」


テレビ関係の取材が入るのは久しぶりだ。

 

1年前は、新見の取材にちょくちょくテレビカメラが入っていた。

しかし、ケガ以降はまったく音沙汰がなかった。

専門誌はときどき取材に来るが、それすらも新見は避けていたように思う。


「取材される身分になるように頑張るか」


「そうね。頑張って」


ホームストレートに向かって。

カメラの前で練習を続ける新見を横目に見ながら、村上道場のメンバーで集まる。

加奈も一応、インカレチャンピオンなのだが、メディアにはかまってもらえないようだ。

どうしてもカメラが気になるのか、練習の合間に、ちらちらと様子をうかがっている。


僕もまあ、気にはなりますけどね。


「おい。集中してないとケガするぞ」


「むい…」


上の空で返事をして、加奈はくるんと僕を見た。


「あたし、世界選手権出れるの?」


「ん。出れないだろ」


「どうすれば出れるの?」


「えーと、A標準は11秒30だろ。10月1日からの記録な。B標準はどのくらいだったっけ。ほかの選手の記録もあるし、日本選手権の結果も関係してくるけど…」


「あーもう、全然分かんない!」


ドスドスと地団駄を踏んで加奈が唇をとがらせる。

そんな難しいことを言ったつもりはないのだが、分からないなら仕方ありませんね。


「11秒30を切って、来年の日本選手権で優勝したら出れる」


「ホント?」


「出れる出れる」


「だったら最初からそう言えばいいじゃん!」


「はい。ごめんなさい」


世界陸上には、一カ国あたり、参加標準記録を突破した3名まで参加させることができる。

ただしB標準の選手は1人のみ。

AAAとかAABとかABなら大丈夫。

でも、ABBやBBは駄目ということだ。


問題は、「参加させることができる」であって、「参加できる」ではないということだ。

代表を決めるのは日本陸連。

記録を踏まえつつ、成績を加味して判断することになっている。


亜由美さんがB標準を突破していて選出されなかったのは、記憶に新しい。

亜由美さんは駄目なのに、他の種目でB標準の選手が出場できたりしたのだ。

杏子さんがぷんぷん怒っていたけど、代表選考に関しては、議論の余地があり批判は多い。

しかし何も改革しようとしない。

杏子さんの言葉を借りれば、組織として終わっているからか。


営利団体ではないので、大会に客が集まらなくても、世界大会で結果が出なくても、選考に批判が多くても、誰も責任を取らなくていいというのは、駄目だよね。


「のぞむくんは出れそう?」


「分かんないよ。頑張るけど」


「一緒に出ようね!」


加奈はにこっと笑った。


簡単に言うけど、男子100mのA標準は10秒18だ。

10秒20で男子歴代10傑に載ることができるので、現実的な数字とは思えない。


そうなると、B標準の10秒26を争う展開となりそうだ。

一応言っておくが、それだって相当難しい。

だけど、だからといって諦めるわけにはいかない。

次、頑張ればいいや、なんてのん気なことを言うわけにはいかないのだ。


人生、何が起きるか分からない。

世界大会に挑戦できるのは、最初で最後になんてことになるかもしれないのだ。

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