101話 初恋


練習後、聡志と帰ろうと思っていると、いきなりシャツの首もとを引っ張られた。


「わ」


驚いて振り向くと、知香ちゃんだった。


何か記憶にある光景だ。

鼻に人差し指を当て、それからちょいちょいと手招きをする。

何だかよく分からないけど、例によって聡志だけをびしっと手で遮る。

何というか、哀れだ…。


「橋本君はいいから」


「え。また?」


聡志が唇をとがらせる。

知香ちゃんはバカにするかのような笑みを浮かべ、人差し指をちっちっちと振った。


「もてない男は可哀そうデスネーっ」


「うう。自分だってもてないくせに!」


「何それ。ひどい!頭来た!」


知香ちゃんがビシビシと聡志を叩く。

1秒前に自分が言ったことは許されると思っているらしい。


どうでもいいやりとりの後、部室の2階に連れていかれる。

階段をのぼったところに新見が立っていた。 

やけに真剣な表情で、ちょいちょいと手招きをする。


「星島君、ミキちゃんとはどうなってるの?」


新見が言ったけど、知香ちゃんがそばで聞いている。

ちらりと見ると、知香ちゃんは変なポーズをしてから、大げさに耳をふさいでみせた。

どうせ新見から筒抜けだろうから、あまり意味はないだろうが、一応だ。


それこそ、ポーズで。


「いや、別に、どうにもなってない」


「ミキちゃんのこと、諦める?」


言われて、黙って首を横に振った。

新見は、にっこりと笑顔になった。


「じゃあ、これあげるから」


新見がぴらっとチケットらしいものを差し出した。

反射的に受け取ってみると、絹山グランドホテルのレストランのチケットだった。

駅前の、一等地にあるそこそこの格式のホテルだ。


「もらいものなんだけど、けっこういい店だよ」


「え。新見いけばいいじゃん」


「あたしは今日行くから。知香ちゃんと」


と、もう1枚のチケットをぴらぴらしてみせる。


「いい雰囲気だったらそのまま部屋とっちゃえば?」


耳をふさぎながら知香ちゃんが言って、新見が笑う。

もう一度チケットに視線を落とす。

2名様、特選コース無料券、ドリンク含むと書いてある。


「高そうな…」


「もらいものだからいいよ。あたしの将来のご飯のために!」


「ああ」


思わず苦笑した。

2年前は知らなかった、食いしん坊の新見。


「じゃあ、もらっちゃおうかな?」


「うん。あとで何かごちそうしてね」


「分かった。牛丼ね」


「あははは」


軽く笑いながら、階段を下りていく。

聡志が部室の前で待っていた。

僕たちを見て淋しそうな顔をしたけど、知香ちゃんがその手をぐいっと引っ張った。


「橋本君、一緒に帰ろ」


「おう?」


「星島君はまだ仕事あるみたいだから」


「おう。いいけど…」


「よかったね。両手に花で」


知香ちゃんに腕を組まれて、聡志が鼻息を荒くする。


「ついにおれの時代が来た!」


「あたしでよかったら付き合ってあげるよ」


「え、マ、マジで?」


「ううん、嘘」


「うおーっ!」


知香ちゃんと聡志が大騒ぎしながら歩いていって。

新見は笑顔で目配せをして、その後に付いていった。


後ろを振り返ると、ちょうど、ミキちゃんが部室から出てきたところだった。

少し肌寒い、10月の夕暮れ。

曇り空の下、ミキちゃんの髪が風に大きくなびいていた。

何となく待ち受けていると、ミキちゃんは僕を見た。

眉毛が片方上がっていたけど機嫌が悪いわけではなさそうだ。

いつも、聡志とさっさと帰ってしまうので、いぶかしく思ったらしい。


「何?」


「いや…」


黙って一緒に歩いていく。

少し、おしゃべりをしながら階段を上って、坂道を降りていって駅のほうへ。

何もない駅前の小さな広場は閑散としていた。

近くには誰もいなかった。チャンスかなと思った。


「ディナーのチケットもらったんだけど一緒に行かない?」


一息で言うと、ミキちゃんはちらりと僕を見た。


「ディナー?」


「和食の店」


差し出すと、ミキちゃんは歩きながらひょいっとチケットを受け取ってくれた。

しげしげと裏表を見て、それから僕に返す。

駄目なのかな。

そう思って見ると、ミキちゃんは僕をちらりと見てぷいっとそっぽを向いた。


「水沢さんとでも行けば?」


そんなことを言う。

やきもちなのかもしれない。

そうかもしれない。

そういう気配はあったし、そう思いたかった。


あれから半年以上たったけど、やっぱり、僕の気持ちは変わらなかった。

もう一度ちゃんと言って、駄目だったら諦めようと思った。


「あ、あのさ」


「ん?」


「前も言ったけど、おれ、やっぱりミキちゃんが好きだから」


二度目だからか、意外とすんなりと言えた。

ミキちゃんは駅前のロータリーの手前で立ちどまった。

黙ってどこかを見ていたけど、車が通り過ぎると、ちらりと僕を見て慌てて歩き出した。


ゆっくり、僕はその横を並んで歩いていく。


「だから、その、付き合ってください。絶対大切にするから」


もうすぐ、駅だった。

それ以上、重ねる言葉もなくて。

黙っていると、歩きながら、ミキちゃんはモジモジと小声で何か言った。

だけどよく聞こえなくて、僕は耳をすまして聞き返した。


「何?」


「だ、だから、まあ、いいけど…」


「えっ、いいのっ!?」


思わず、聞き返す。

ミキちゃんはちらりと僕を見て、手をジーンズでゴシゴシしながらつぶやいた。


「別に、星島君のこと、嫌いじゃないし」


「うん…」


何か、煮え切らない。

うれしいけど。

うれしいんだけど何だか煮え切らない言い方だ。


そう思っていると、ミキちゃんはまたちらりと僕を見て、目が合って慌ててそらした。

分かった。

要するに、煮え切らないんじゃなくて、単にいっぱいいっぱいなだけらしい。

よく見ると、ミキちゃんは真っ赤だった。

大きく、ごほんとせき払いをして、それからまた手をゴシゴシする。


「すぐ鼻の下伸ばすところは、嫌いだけど」


「ご、ごめん」


「でも、まあ、そのほかは好きだから…」


思い切り、鼻の下が伸びてしまった。

そして、次の瞬間、階段をのぼろうとして踏み外し、思い切り脛をぶつけて悶絶した。

どうやら、夢ではないようだった。

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