098話 大和撫子奮闘す


例によって、女子走り高跳びが終わるとファンクラブの女の子はさっさと出ていった。


通路側に座っていたので、藤崎小春が通り過ぎるときに何かされないか、警戒する。

察したのか、おっぱい魔人が遮るように間に入ってくれた。

だけど、狭い通路なので、おっぱい魔人の持っていたバッグがガツンぶつかる。

肩から下げたバッグをぎゅっと体のほうに寄せたとき、遠心力でぐるんと回って。

金具の部分。

かなり勢いよく、側頭部に命中。


「あっ…、ごめん」


気付いて、おっぱい魔人は身を屈めてぶつかったところを覗き込んだ。

僕、座ってる。

おっぱい魔人、わりと胸元の空いたシャツ。


必然的に、おっぱいが、目の前に…。


「大丈夫?」


「だ、大丈夫…」


「ごめんね」


おっぱい魔人は繰り返し謝って、大事そうにバッグを脇に抱えて階段を上っていった。

陸上部にはいない、セクシーな女の子だ。


鼻の下を伸ばしていると、ゴホンと咳払いされる。

詩織ちゃんだ。

見ると、ミキちゃんがまた不機嫌になっている。


「ご、ごめんなさい」


反射的に謝る。

別に、何をしたってわけでもないんだけど。


女子走高跳の余韻が残り、しばらく、スタジアム全体が何となく落ち着かなかった。

そんな中、男子400mハードルでは東南銀行の山崎雅史が粘って1着でゴール。

海外の招待選手を退け、日本記録の快挙を成し遂げた。


続く女子400mハードルでは、3人が転倒してレースを棄権するという荒れ模様。

何か起こりそうな、そんな雰囲気の中で女子100mの選手が入場してきた。


4レーン、褐色の弾丸クリスティアーネ・ベッカーの横に加奈が立っている。

頭一つ、ベッカーより背が高く筋肉質。

何だか妙な期待をしてしまうが、例によってあれだ。

ガチガチになっていて、頭から湯気が出ているような感じだ。


「あれさえなければなあ…」


「そうねえ…」


いろいろ、スポーツ心理学の先生に見てもらっているみたい。

でも、あまり効果は出ていないようだ。

あれはもう、慣れてもらうしかないのだろうか。



「on your mark」



選手紹介が終わり、最終種目のスタート。

万単位の観客の視線がそこに集中する。

風はほぼ、フラットのようだった。



「set」



電子ピストルが鳴った瞬間、「わちゃっ」と加奈が立ち上がった。

観客2万人が、全員ずっこけたような感じだった。

もうそれで、加奈のレースは終わったも同然だった。


しかし、歓声の中、奮起して序盤のリードを奪ったのは伏兵の千晶さんだった。

後輩の新見沙耶には、完全に水をあけられ。

ど素人の加奈にまで追い抜かれ。

新人の真帆ちゃんにも、背中を脅かされ。


きっと、千晶さんもいろいろ期するところがあったのだろう。

アップをしている段階からものすごく集中していた千晶さんは、鮮やかに飛び出した。

素晴らしいスタートからの、スムーズな走り。

先頭を奪い、トップで加速区間に突入していった。



「おおおーっ!」



何かが起こりそうな、そんな予感がスタジアムを包んだ序盤。

しかし、女王クリスティアーネ・ベッカーは焦らなかった。


するすると差をつめていくと、あっという間に逆転する。

そのまま、差を広げられていくのだろう。

日本の選手のよくあるパターンかなと思ったら、そこからが千晶さんのチャレンジだった。

ベッカーにリードを許しても、決して離されない。

我慢して。

辛抱して。

諦めずに丁寧にベッカーを追っていく。



「おおおーっ!」



少ないながらも、陸上をよく知る観客が沸く。


後半まで食らいついていって、粘って粘って。

結果、外国人招待選手と並ぶようにして3着でゴール。

この奮闘ぶりに、スタジアムは大いに沸いた。

タイム云々ではなく、中身のいいレースだった。


そして、何よりベッカーだ。

最後は少し余裕を残したものの、10秒91の好タイムをマークしてみせた。

世界大会でもメダル圏内に入るぐらいの、かなりのタイムだ。


「うーん。強い!」


「本気で走ってくれたみたいね」


「そうだね」


ミキちゃんの言葉にうなずく。


「そして千晶さんも頑張った!」


「そうね」


少し待っていると、電光掲示板に順位とタイムが表示されていく。

千晶さんは、11秒38の自己ベスト。

しかも日本歴代3位である。

世界大会でも予選突破できそうなレベルのタイムだ。


うれしいのかうれしくないのか、ニコニコと歩いてきて、観客に丁寧に頭を下げる。

それから、トラックに一礼。

さすが、走る大和撫子だ。

落ち着いていて好感が持てるし、観客からも拍手が沸く。


一方の加奈は、ずっと後ろのほうでゴール。

タイムはまあどうでもいいけど、ゴール前に戻ってきて、ベッカーと何か話している。

何を話しているか知らない。

しかし、万歳をしてぴょんぴょんと跳ねて、ベッカーが笑った。


それが、何というか、ものすごくリラックスした表情。

なぜ、それをもうちょっと早く発揮できなかったのかと、2万人が肩を落としたのだった。

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