086話 どこに吊るのか


準決勝は、男女とも波乱の展開になった。


まず、真帆ちゃんがフライングで失格。

2組では千晶さんが3着に沈んで、プラスでぎりぎり拾われる結果となった。

走っている途中、太ももが痙攣したらしい。

少し張りがあるようで、非常に残念だが、大事をとって決勝は欠場するようだ。

 

加奈は、例によってガチガチだったけど、11秒93で1位通過。

一番危なっかしい人間が、結果としては最も着実に決勝に進出したのがおかしな感じだ。


「おい」


「はい」


「吊るすぞ」


そして、待機場所で高柳さんが正座させられ、荒川さんに説教されている。


フライングしたとかレースで負けたとか、そういうことではない。

招集時間を10分間違えて、遅れたために失格になったのだ。


姿が見えないのでみんなで一生懸命捜したのだが見つからなかった。

トイレにいたらしい。

全員が出られるならともかく、出たくても出られない人がいっぱいいる。

部の代表。

みんなの代表として戦っているという意識が薄いのだ。

荒川さんの怒りももっともである。


「そんな怒んなよ。わざとじゃねえんだし」


「黙れ!吊るすぞ!」


荒川さんがまくし立てる。

突っ込んだわけではなく、かなり本気で怒っているようだ。

さすがにピーナッツ頭でもそれは理解できたらしい。

何か言いかけたけど、高柳さんはうつむいて膝の上に手を置いた。


一生懸命やって結果が出ないのは仕方ない。

以前、4Kで、高柳さんのところでバトンを落としたが、ああいうミスは仕方ないのだ。

しかし、このミスはない。

絶対にしてはいけないミスなのだ。


「とりあえず、お前、4Kはクビだ」


荒川さんが金属製のバトンをパシパシとやりながら言った。


「お前のインカレはトイレの中で終了だよ!」


周囲でぷっと笑いが起きる。

絹大陸上部の歴史に残る、荒川さんの名言だった。


ちなみに。

僕は準決勝トップタイムの10秒35で決勝に残った。

絶好調というか、もしかするともしかするかもしれない。

初出場で初優勝、なんていうことも夢ではないだろう。

そのぐらい調子がいいし、いける気もする。


ライバルの1人、浅田次郎も悠々と決勝進出。

イメージとしては高柳さんとかぶるが、今、伸び盛りの選手である。

調子の波が激しい選手らしく、タイムにばらつきがあるのも特徴だ。

しかし、今回のインカレは、調子がいいほうに見える。


そしてもう1人のライバル、本間君は力を残したまま10秒43の2位で決勝へ。

もちろん、優勝候補の一人である。

ここは通過点にして、さっさと上のステージに上がることを考えているに違いない。

来年の世界陸上、そして再来年のオリンピックだ。


インカレ4連覇を達成した後藤俊介が卒業し、勢力図がどう変わっていくのか。

その点でも注目される男子100mの決勝は、明日、行われる。


「さて。ご飯ご飯」


つまり、今日はもうおしまい。

高柳さんはほうっておいて、楽しいご飯の時間だ。

あとはもうゆっくり休みながら、美味しいものをいっぱい食べよう。

ま、食べられる場所も限られているし、予算の都合もあるんだけどね。


「聡志、腹減らない?」


観客席まで行って誘ったけど、聡志はちらりと僕を見て欠伸をしただけだった。


「さっき食べた」


「それはロシア時間で何時?」


「山梨時間で13時半」


「さよか…」


とりあえず、聡志の横に座る。

トラックでは女子1500mが行われていた。

うちからも2人出ているけど、集団後方をやっと追走している状況だった。


黙って、しばらく見ていたけどお腹が空いてしょうがない。

もうすぐ4時だから、夜ご飯まで我慢しようか。

バナナがまだ1本あったような気がする。

あれ、食べちゃったんだっけ?


考えながら待機場所に戻って荷物をごそごそしたけど、何も入っていなかった。

どうしよう。

しょぼんとしていると、目の前に、すっとバーガーショップの紙袋が現れた。


「ん?」


ミキちゃんだった。

少し、恥ずかしそうな顔をしている。


「ごちそう」


「え、いいの?」


「カキフライはまた今度ね」


「あ、うん…」


ミキちゃんはずるい。

いつもいつも、人を油断させておいて背後から切るからだ。

0コメント

  • 1000 / 1000