083話 男子100m予選


4Kの予選は、難なく1位だった。


女子もどうにか通過したらしい。

初参加のメンバーが多く、加奈はガチガチで受け渡しが危うかったようだ。

しかし、伊藤ふみ、山田千晶で巻き返したとのこと。


「星島君、いい感じだったね」


軽くダウンして、道路を渡って競技場のほうに歩いていると、新見に肩を叩かれた。

見てくれていたらしい。

新見はリハビリに専念中で、あまり顔を合わせないので久しぶりのおしゃべりだ。


「そうかな?」


「うんうん、よかったよ。100mも楽しみだね」


かなりうれしかった。

思えば、スプリントに関して新見に何か言われたのは初めてかもしれない。

テンションも上がろうというものだ。


「最低でも予選突破しないと、恥ずかしいよな」


「大丈夫大丈夫。うちから初優勝者出そうよ」


短距離王国の絹山大学だが、まだ男子100mでインカレチャンピオンを輩出していない。

これも、絹大陸上部七不思議のうちの一つだ。


「うーん、優勝は…」


「後輩に負けたら恥ずかしいぞう」


「え、何、プレッシャーかけにきたの?」


「あはは。ばれた?」


新見が鮮やかに笑う。

あえて逆のことを言って、リラックスさせようとしてくれているのだろう。

ありがたい。


新見と一緒に、一度、スタンドにのぼり応援席に行ってみんなと合流する。

トラックでは、十種競技の100mを行っているようだった。

僕もあまりのんびりしている時間はない。

12時半から、つまりあと2時間もすればもう100mの予選だからだ。

そこを勝ち進めば15時から準決勝が行われる。

わりとタイトなスケジュールだ。


もっとも、高校の地区予選で、一度、4Kの直後にマイルリレーを走ったことがある。

しかも、4Kはアンカーで、マイルリレーは1走だった。

比喩ではなく、間が3分くらいしかなかったのだ。

あれはきつかった…。

きつかったい…。


「星島君、何組だっけ?」


5組、と答えると新見はプログラムを開いた。

5組の3レーン。残念ながら8人の組だ。

できれば7人の組に入りたかった。


男子100mは全6組で3着プラス6だ。

比較的残りやすいとも言えるが、何しろ10秒3台で走る選手がごろごろしている世界。

参加標準記録が10秒50だから、全員が10秒4台のシーズン記録を持っている。


「知ってる人いないね。5組」


「浅田次郎がいるよ」


「誰?」


「今年の関カレ1位」


「そうだっけ。速いの?」


「速くなかったら関カレで優勝できないよ」


「それもそっか」


「うちらの代のインハイ優勝者なんだけど」


「ふうん…」


「覚えてないんだ」


「あははは」


新見は笑ってごまかしたが、けっこうな選手だ。

インハイ優勝、去年の日本選手権では5位。

今年の関東インカレを制した辰川体育大学の浅田次郎が隣の4レーン。


「ま、3着でいいんだから。楽勝楽勝!」


「よく言うよ」


「決勝残ったら何かごちそうしてあげるから」


「やった。牛丼?」


「あははは。牛丼でもいいけど」


新見としゃべっていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。

10分くらいたって、高柳さんが僕を呼びにきた。

そろそろアップに向かうらしい。


のしのしとスタンドを降り、コンコースの待機場所に寄ってバナナを1本食べる。

そして、少し水分を補給してから、僕はみんなと一緒にサブトラックへと歩いていった。

いよいよ、男女100mの戦いの始まりだ。


太陽が、頂点に達している。

汗をかきながらアップをしていると、まずは女子100mの3人が順番に出ていった。

千晶さん、加奈、真帆ちゃんだ。


「いってきまーす」


「がんば」


僕と高柳さんはまだまだアップ。

本間君はいつも一人でアップするようで、姿は見えなかった。

コンコースのほうかもしれない。


「よし、おれも行く」


「がんば」


1組の高柳さんが出ていって、僕は一人になった。

 

ちょっと淋しいのと、時間を間違えないか心配なのと。

落ち着きなくウロウロしていると、ミキちゃんがスポーツドリンクを手に戻ってきた。

安堵して、少し肩の力が抜けた気がした。


「そろそろ、いい?」


「あ、うん」


招集の時間だ。

 

体を冷やさないようにジャージを着込み、ミキちゃんと一緒に招集場所へと向かう。

初のインカレだけど、やることは一緒だ。

招集を受けて、スポーツドリンクを飲んで唇を湿らせる。


(ふう…)


去年は結局、栄邦工業大学の後藤俊介が制し、インカレ4連覇を達成した。

後藤俊介が、陸上ではまったく無名だった栄邦工業大学を世に知らしめた感がある。

まったく、あっぱれだ。


その後藤俊介が卒業したため、今年のインカレは混戦模様である。

タイム的には、はっきり言って誰が勝ってもおかしくない。


「星島」


ふいに、赤いジャージの選手に声をかけられた。

件の、辰川体育大学3年の浅田次郎だ。


「はい?」


「荒川は出ねえの?」


荒川さんを呼び捨てにされる。

 

なんだこいつ、と思ったけど素直にうなずいておいた。

こんなところでケンカしても仕方がない。


「ふうん。絹山も層薄くなったなあ。女子も聞いたことないのばっか出てたし」


関カレ優勝で天狗になっているのだろうか。

浅田は鼻を鳴らしながら言ったけど、僕は別に気にしなかった。

残念な人間はどこにでもいるものだし、高柳さんで慣れていたからだ。


問題は、僕の隣にいる短気な人間だ。

チラリと様子をうかがうと、予想どおり、ミキちゃんの眉毛は急角度。

ものすごい勢いで浅田を睨んでいる。


「まあまあ」


なだめて、浅田から離れたところに連れていく。

別に聞き流せば害はないんだから、と言ったけど機嫌は直らなかった。


「絶対、勝ちなさいよ」


「うーん。そんなこと言われても…」


「勝ったら何かごちそうしてあげるから」


「お。じゃあ頑張ろうかな」


あまりにも現金な返事だったので、やや機嫌が直ったらしい。

 

眉の位置が元通りになったので、僕は一応、女子100mの結果を聞いてみた。

あの3人なら問題ないとは思ったが、念のためだ。


「通ったわよ。全員」


「加奈も?」


「全員って言ったでしょ」


「あ、そっか」


「ガチガチになってたけどね。12秒12」


この野郎、僕は内心思った。陸上を始めてたった1年半の人間に負けていられない。

負けてたまるかと思った。

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