076話 眠れない夜


散々、食べて飲んで。

そのうち、例によって杏子さんが酔っぱらって。

千晶さんのひざまくらで眠ってしまったので、そこでお開きとなった。


相変わらず、罪のない無邪気な顔で眠っている。

千晶さんがそのほっぺたをぷにぷにとつついたけど、杏子さんは無反応だった。


「星島君、悪いけど抱っこしてってくれる?」


「あ、はい」


女の子を抱っこしてもよろけないぐらいには、毎日のトレーニングで鍛えられている。

 

とりあえず、杏子さんを1階の寝室まで運んでいってベッドに寝かせる。

あとは千晶さんに任せてホールに戻ると、誰もいなかった。

もうみんな自分の部屋に戻ったみたい。

キッチンで水沢さんが後片づけをしているだけだ。


「どうぞ」


ぼんやり、ソファーに座ってテレビを見ていると、水沢さんが麦茶を持ってきてくれた。

首を傾けて、微笑をたたえている。


「あ、ありがと」


水沢さんが僕の隣に座る。

千晶さんが戻ってきて、テーブルを一通り見回して、それから僕たちを見た。


「じゃ、私も寝るね」


「あ、おやすみなさい」


「おやすみなさい」


小さく欠伸をしながら、千晶さんは階段をのぼって自分の部屋に戻っていった。

ちょうど、日付が変わってスポーツニュースなんかをやっていた。


らりと横を見ると、水沢さんがソファーにもたれて僕をじっと見ていた。

切れ長の目が半分閉じていて、少し眠そうだった。


「ん、何?」


「いえ、別に」


水沢さんも、酔っているのかもしれない。

そう言えば、少し顔が赤いように見える。


「星島さんのおかげです」


「ん?」


「関カレに出れたのも、日本選手権で頑張れたのも」


「ああ。いや、水沢さんが頑張ったからだよ」


「いえ」


がばっと体を起こして、水沢さんはぎゅっと僕の手を握った。


「星島さんのおかげです」


「そ、そう?」


「この1年の星島さんの頑張りに、みんながどれだけ引っ張られたか」


「そんなことないよ」


「いえ。真帆ちゃんも織田君も感謝してました」


この歳になると、誰かにこんなふうに真っすぐ褒められることはなくなる。

だから、素直にうれしかった。


そして、それ以上にこのシチュエーションは、いつものパターンだった。

深夜。

海辺の別荘のソファーの上。

二人きり。

そして手を伸ばせばすぐそこにいる水沢さん。


もう、誰がどう考えたって、邪魔が入るに決まってる。


「お、何してんのお、二人でさあ」


ガチャリとリビングのドアが開いて、ふらふらと酔っ払い杏子さんが入ってくる。

毎回こんなパターンなので、もう慣れてしまって落胆はしなかった。


真夜中なのに、バタンと力強くドアを閉めると、数歩、歩いて杏子さんは壁に激突した。


「うぬ。ちくしょうめ」


両手を壁に付いて、何とか体を起こす。

そして、ソファーのところまで歩いてくると、水沢さんの隣にドスンと座った。

目は半分以上閉じているし、完全に酔っ払いだ。


「何だよお、二人でいちゃいちゃしてえ。するなら3人でしようよお」


ずるずると水沢さんの体に自分の体を押し付ける。


「いいでしょお、ミキぃ。3Pしようよお」


いや、泥酔しているんだけどね。

基本的に、酔ってないときと言ってることは一緒っていう…。


「浅海さん。私、水沢です」


まじめな顔で、水沢さんが訂正をする。


「ん?」


「水沢です。水沢咲希」


「ああ。んじゃ、左がぁ、あとね…」


「はい?」


「だからあ、右側の、子がぁ、先でしょお。エッチするの…」


「ええと、右側が先じゃなくて、水沢咲希です」


「んー?」


杏子さんは頭を上げて、半分閉じた目で瞬きをした。


それから水沢さんの頭をぐいっとつかむ。

至近距離まで顔を持っていって、じーっと水沢さんの顔を見る。

ちゃんと映っているかどうか分からないが、やっと理解したらしく、にへらと笑った。


「ほんとだあ。ミキじゃなくて、咲希だあ」


「はい。そうです」


「んー」


そのまま、いきなり、押し倒すようにしてキスをする。

水沢さんは驚いた表情をして、杏子さんを押し戻そうとした。

しかし、そもそも力のあるほうではないし、全体重をかけられていて苦戦をする。

それでも何とか引き離すと、杏子さんを押し戻し、水沢さんは泣きそうな表情を浮かべた。


手元にあったクッションをつかんで、ぼすぼすと杏子さんを叩く。


「もうっ!」


「えっへっへえ。キスしちゃったあ」


「ファーストキスだったのに!」


「あはははあ。そりゃ、悪かったねえ」


笑いながら杏子さんは立ち上がって、ごすんとテーブルに向うずねをぶつけた。

痛そうだけど、酔ってるのか無反応だ。


どこに行くのかと思ったら、今度は僕の横にどすんと座り、ふうっと一息吐いた。

今度は僕の番だろうと、半分予想はしていた。

なので、僕は体をのけ反らせて徹底抗戦の構えを見せた。


「ほらあ、こっち」


しかし、それは予想外だった。

ぐりんと杏子さんに反対側を向かされると、目の前に水沢さんの顔があった。


「うりっ!」


杏子さんがぐいっと腕を押すと、唇と唇がぶつかりそうになった。


その距離わずか10センチ。

未遂だったけど、めっちゃ近い。

すっと伸びた水沢さんの手が、宙をさまよって僕の胸に着地した。

嫌がっている様子はない。

いいのだろうか。

いいよね。

してもいいんだよね。

自問しているうちに、きっとまた邪魔が入るだろう。

そんなふうに思っていたのだが、とりたてて邪魔は入らず、唇が重なった。


「ん…」


水沢さんの息が漏れる。

 

抱き寄せてみても、水沢さんは逆らわなかった。

その柔らかい肉体と唇に、僕は完全に夢中になった。

もうこのまま、いけるところまでいってしまいたい。

そう思っていると、後ろで杏子さんが何かごにょごにょ言って、慌てて僕たちは離れた。


「な…、にゅ…」


僕の頭を押さえていた手がずるりと落ちる。

身体の芯が崩れ、ソファーの背もたれにべったりと寄りかかる。


「あ…、寝ちゃった」


とりあえず、クッションを枕にして、ソファーに寝かせてあげる。

それでやっと落ち着いて、水沢さんのほうを見ると、恥ずかしそうな顔をしていた。

それで僕も恥ずかしくなってきて、思わずたたずまいを直した。


「あ、あの、ごめん…」


謝ると、水沢さんは真っ赤な顔で立ち上がった。


「わ、私寝ますね。お休みなさい」


「あ、うん、お休み…」


逃げるように、リビングを出ていく。

水沢さんとキスしちゃった…。


感触を反芻しながら、僕はまた杏子さんをベッドまで運んでいって寝かしつけた。

むにゃむにゃ言っている杏子さんの頭をぐりぐりと撫でる。

杏子さんのおかげだと思った。


僕はくるくると回りながら部屋に戻り、ベッドに倒れて一人でぐるぐるとした。

いい旅夢気分だった。

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