065話 充電


翌週の土曜日。

未明に、僕たちは聡志の車で名古屋へと向かった。

日本選手権2日目観戦弾丸ツアーだ。


メンバーは、僕と聡志。

それと、高校の後輩の織田君と、ベースマン寺崎とおべっか金子の1年生コンビ。

男だけで車中泊することになったので、旅費は最低限に抑えられる計算だ。


「着いたぞ」


助手席で寝ていると起こされる。

何しろ出発が4時だったのだ。


「にゅむむむ」


「自分だけ寝てんじゃねえよ!」


振り返ってみると、織田君も金子君もベースマンも起きている。


「ごめんなさい…」


「飯食ってから行くぞ」


「何食べる?」


「牛丼だ」


「牛丼かあ…」


つぶやくと、聡志は目を吊り上げた。


「いつも牛丼牛丼言ってるじゃねえかよ!」


「そうだけどさ。わざわざ名古屋まできて、牛丼っていうのもなあ」


「んじゃ、何食べるんだよ」


「えーと…」


「何かいろいろ調べてただろ」


「あー、うん。ひつまぶしのおいしい店があるって、杏子さんが」


「…いくらするんだよ」


「いくらだっけ。3千円くらい?」


牛丼屋へ。

朝定食を食べて、その後、コンビニに寄る。

1食に3千円とかないわー。


その後、少し走って競技場に到着。

最近つくられた競技場で、施設がきれいでとにかく素晴らしい。

サブトラックも広々としていてきれいだし、環境的には最高の競技場だ。

空も高い。

コンディションはばっちりである。


「トイレ行ってくる」


「おう。先行ってんぞ」


用を足して、途中で飲み物を買おうと思ってまた戻る。

 

競技場の前で、女の子たちがテントでペットボトルを売っていたのでそれを買った。

キンキンに冷えていて気持ちがよかった。

それから、プログラムを買おうと列に並んでいると、いきなり後ろから首を絞められた。


「だーれだ」


振り向かずとも分かった。


すぐに手を離して、杏子さんは僕の顔を覗き込んで笑顔を見せた。

少し伸びたふんわりカールの髪に、ぱっちりおめめ。

ライテックスのジャージに違和感があったけど、とにかくものすごく久しぶりに思えた。


「あーん。久しぶり!」


いきなり、ぎゅっと抱き締められる。


「充電っ!」


「ちょっとちょっと」


周囲の視線が痛い。

売り場の女の子も笑っているし、すぐ近くに青いジャージの3人が立っている。

チームライテックスのジャージだ。


1人は女子400mの女王、小林由紀。

1人は100mや200mで日本のトップクラスにいる山本幸恵。

そして最後の1人は、男子100mの日本記録保持者、本間隆一その人だった。


(うお)


小林由紀、山本幸恵、本間隆一。

 

いずれも日本陸上界のトップアスリートだ。

何しろ、日本選手権のポスターに3人とも入っている。

相対するのは初めてだったけど、この状況では言葉が出なかった。


杏子さんに抱きつかれたまま黙っていると、小林由紀がタオルでパタパタと自分の顔をあお

いだ。


「誰だっけ。星島君?」


「ど、こんなかっこうでどうもよろしくお願いします」


ちょっと日本語がおかしいが、あいさつをすると小林由紀は苦笑しながら頷いた。

ちょっと恥ずかしかった。

ほかの2人にも、変なやつだと思われたに違いない。


「先行ってて。しばらく充電してるから」


杏子さんがぐりぐりと頭をなすりつける。


「エッチしてくから2時間くらいかかるかも」


「し、しませんよ。しませんからね!」


周囲に笑いが起きる。

まあ、お約束だ。

笑いながらライテックスの3人が去ると、杏子さんは僕の胸に耳を当てた。

背中をすりすりとされて少しくすぐったい。


「元気だった?」


「あ、うん。杏子さんは?」


「頑張ってるよ。頑張ってる…」


しばらく、そのまま黙っていたけど、やがて杏子さんはぱっと顔を上げた。


「今年も海行く?」


「あ、そうだ。そんな話してたんですよ」


「相談して日程決めといて。ボーナスつぎ込んでぱーっとやろ!」


「つぎ込まなくていいけど、休み取れるんですか?」


「大丈夫大丈夫」


「練習は?」


「大丈夫だって。サボろうと思えばいくらでも練習サボれるし」


「いいなあ」


「まあ、それなりに結果残せなかったらコレだから」


真面目な顔で、杏子さんは自分の首に手を当ててみせた。

やはり、学生とは比べものにならないぐらいシビアな世界のようだった。


「星島は?頑張ってる?」


「うん。個人選手権3位だった」


「10秒4で2回走ったんだっけ。速くなってるじゃん」


杏子さんは、いつもちゃんと見ていてくれる。

本当にありがたい…。


「関カレは4K出てたね」


「トライアルは10秒36だったんだけど、選ばれなかった」


「そっか。頑張ってる、偉い偉い」


笑顔でぐりぐりと頭を撫でられる。

ひょっとして、ミキちゃんと杏子さんで相談して、アメとムチをやっているのではないか。

そんなふうに思った。

0コメント

  • 1000 / 1000