063話 それでも星島なら


「はーい、おつかれさまーん」


しばらくすると、亜由美さんを含めた長距離の選手がやってきて、屋台を交代してくれた。

ビニールの手袋をすると、亜由美さんが鮮やかな手つきで鶏肉を切り分け始める。

それから、粉を付けてから揚げを作り始めたんだけど、完璧にプロの手つきだ。


「亜由美さん、料理うまいっすね」


「んー?そう?」


「たこ焼き焼くのもうまかったし」


「……」


「……」


やっぱりそこは秘密なんだ。

気になる…。


でもまあ、深い理由があるのかもしれない。

追究せずにスポーツドリンクを飲んでいると、誰かに軽く背中を撫でられた。

振り返ってみると、水沢さんが首を傾げて立っていた。


「ちょっといいですか?」


耳元で囁かれて、思わず、ごくんとスポーツドリンクを飲み込む。


「あ、うん。何?」


「ちょっとお話が」


水沢さんは言葉を濁した。

ファンクラブ会長の藤崎小春、金髪のスプリンター宝生亜美が、そろって僕を睨んでいる。


いや、それだけではない。

知香ちゃんも千晶さんも詩織ちゃんも真帆ちゃんも。

ベースマンも金子君も、ファンクラブの女の子たちも、とにかくみんな僕たちを見ている。

ミキちゃんだけはそっぽを向いていたけど。


「な、何かな?」


「大した話ではないんですけど」


「さいですか…」


立って、水沢さんについて広場の奥に歩いていく。

後ろからは、誰も付いてこないようだった。


しかし前方から、身長190センチ以上ありそうな大男が3人ほど近寄ってきた。

ごつい体にいかつい顔で、いかにも空手や柔道をやっていそうな格闘技系の男たちだ。


(うひ…)


たぶん、水沢さんではないだろう。

きっと藤崎小春の差し金だ。

星島のくせに生意気だぞと、僕をぎったぎたにしてやろうとたくらんでいるに違いない。

最悪、走って逃げよう。

ケンカには勝てないけど逃げ足なら負けないはずだ。


(うう…)


でも水沢さんを置いてきぼりにするのはまずくないか。

男として、例え骨の1本や2本折れようとも、屈しないことも大事ではないのか。

だけど、受け身も知らない僕なので、下手に打ち所が悪かったりしたら大変なことになる。

亜由美さんとは違うのだ。


(うぐぐ…)


あれこれ考えながら身構えていると、3人はずんずん近付いてきた。

ものすごい迫力だった。


そして、僕を一瞥して、3人で何か雑談しながらそのまま通り過ぎていく。

容姿に似合わず、アニメか何かの話をしていた。

ちらりと振り返ってみたけど、後ろからいきなり襲いかかってくるようなことはなかった。

単なる、通りすがりの格闘家だったらしい…。


「どうしました?」


「あ、ううん」


ちょっと恥ずかしかった。

紛らわしい!


「それで、何?」


聞いてみると、水沢さんは僕を見て、一瞬俯いて、それからまた顔を上げて僕を見た。


「あの」


「うん」


「男の人にこういうこと言うの、初めてだからすごく恥ずかしいんですけど」


「う、うん…」


ドキリとする。

さわやかな風が吹いてきて、水沢さんの短い髪を撫でていた。

これは、もしかして、そういうことなのだろうか。

もしかするのだろうか。


「でも、思い切って言いますね」


「うん。な、何?」


「星島さん」


「はい」


「少しでいいんで、お金貸してもらえませんか」


想像に難くないだろうけど、一瞬、僕はものすごくがっかりした。

だいたい、いつも水沢さんは思わせぶりすぎるのだ。

お金を借りるのに、そんな思い詰めたような顔をしなくてもいいではないか。


「えと、いくらくらい?」


「千円でいいんですけど」


水沢さんはまっとうな表情で言った。

何万円も借りたそうな雰囲気だったので、ちょっとほっとする。

そのくらいなら、貧乏王星島でも何とかなります。


「財布忘れてきて何もできないので…」


「いいよ。はい」


「ありがとうございます。やっぱり、困ったときは星島さんに限ります」


冗談っぽく水沢さんが言って、僕はちょっと照れてしまった。


「まあ、5万円貸せとか言われたら無理だけどね」


「いえ。それでも星島さんなら何とかしてくれると思います」


「どこかで聞いたフレーズだな」


「星島さん」


例によってぎゅっと手を握られ、至近距離で目を覗き込まれる。


「は、はい」


「実は、お金を貸してほしいというのはきっかけで、こっちが本命なんですけど」


「え、何かな」


「お礼を言おうと思って」


「お礼」


「星島さんのおかげで、日本選手権にも出られるようになりました」


「あ、いや、それは水沢さんが頑張ったからだよ」


「だから、頑張れたのが星島さんのおかげなんです」


大げさだと思ったが、水沢さんは真剣な表情だった。


「私、一生懸命頑張りますから」


「え、あ、うん」


「見ててくださいね」


「うん」


しばらく、その距離で見つめ合う。

何というか、毎度のことだけど。

ぐっと手を握られて瞳を見つめられたら、本当にもうどうにかなってしまいそうだ。


いや、たぶん、水沢さんは僕のことを待っているに違いない。

だってこんな思わせぶりなこと、普通ならしないはずだ。

おそらくそうだ。

きっとそうだ。

オールモストそうだ。

まず間違いない。

ぎゅっと抱き締めるくらいは、みんな許してくれるはずだ。

みんなって誰だろう。

よく分からないけどとにかくそういうことなのだ。


「水沢さん…」


抱き締めようとした瞬間、水沢さんがすっとしゃがんだ。

足元に、いつも学内を歩いている黒猫がすり寄ってきていたらしい。


「くろすけだ。くろすけ、くろすけ」


いつの間にか名前まで付けたようだ。

いつもとは違うでれでれとした表情で、水沢さんは猫を撫でる。

文字通り、猫撫で声をあげながら。


要するに、またもや僕は一匹の野良猫に負けてしまったわけだが、ふと気付くと、ベンチの裏のほうで、金髪の宝生さんが聞き耳を立てていた。

少し離れたところには藤崎小春もいる。


危なかった。

わざとらしく、せき払いをして。

むなしく行き場を失った両腕をぐるぐる回しながら、僕は半歩、水沢さんから離れた。

しばらく、帰り道には気をつけようと思った。

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