061話 新見沙耶怒る


結局、学祭関係はオールモスト知香ちゃんに任せることにして練習へ。


雨はほとんどやんでいた。

長距離の選手がウインドブレーカーを着てトラックを周回している。

ところどころ、タータンの上に水たまりができているところがある。

詩織ちゃんが懸命に排水作業をしているところだった。


短距離の選手も練習していたけど、僕は軽くアップしてトレーニングルームに向かった。

トレーニングルームというと大げさだが、部室の1階の奥に小さな部屋がある。

そこに、器材が置いてあるわけ。

たぶん、うちの陸上部で一番経費がかかっている場所だ。


「おっ」


ぽつんと一人、新見がいた。

黙々と、レッグプレスの機械と向き合っている。


「練習復帰?」


「うん。まあ、ちょっとずつ」


「そっか。よかった」


あの事故から3ヶ月。やっと、新見が戻ってきた。


僕はとにかくほっとしたけど、新見本人に、あの輝くような笑顔はなかった。

筋トレというよりリハビリなのだろう。

軽目の負荷で、ゆっくりとレッグプレスを繰り返している。

苦しそうな顔。

見ているだけでこっちも苦しい顔になってしまった。


「隣、いいかな」


「うん」


新見に倣って、僕も黙々と筋トレを開始する。


筋トレはあまり好きじゃないけど、週に3度はメニューに組み込まれている。

僕の場合、上半身の筋力が圧倒的に足らないらしい。

スプリンターにも、上半身の筋力は必要なのだ。

全体のバランスがとれていないと、軸がぶれて推進力が分散してしまうからだ。


(ふうふう…)


筋力が足らない部分の筋トレは苦痛だ。

 

むろん、楽な筋トレなど意味がない。

ミキちゃんのメニューには、つらい筋トレばかりが並んでいる。

腹筋100回を5セットとか書いてあって、思わずめまいがしそうになった。


「うーん…」


唸りながら、新見が立ち上がる。表情は暗い。

何も言えなくて、僕は新見が脚をぶらぶらさせるのをただぼんやり見ていた。

何か気の利いたことの一つでも言おうと思ったけど、やはり僕には無理だった。


「ごめんね」


その代わりに謝ると、新見はきょとんとした表情を浮かべた。


「え?」


「いや、おれのせいで、大けがさせたから」


「あー…」


納得したような感心したようなあきれたような、新見はそんな声を出した。


「星島君、まだそんなこと言ってるんだ」


「だってあれは…」


「前も言ったでしょ。あれは事故。歩道だったじゃん」


「そうだけど、おれが——」


「あれは事故!」


新見の大きな声を聞いたのは、初めてだった。

ちょっとご立腹の表情をしてみせる。


「もう忘れたいんだから、思い出させないでよね」


「あ、そっか。ごめん…」


言われてみればそのとおりだ。

もうあんな事故のことは思い出したくないのだろう。

前向きというか、いかにもポジティブな新見らしい。


僕はどちらかといえばネガティブなので、こういうところは見習うべきだなあと思った。


「だいたいさ、星島君、いつもウジウジしすぎ」


半ば本気で説教される。


「はい…」


「真面目なところはいいと思うけど、もうちょっと自分に自信持つべき」


「はい…」


「そんなんじゃ、ミキちゃんに告白したってフラれちゃうよ」


僕はカクンと頭を落とした。 

それは、割とクリティカルヒット…。


「それは、しました」


「えっ…、告白したの…?」


僕が言うと、急に新見は笑顔になった。

もう忘れたいんだから、思い出させないでよね…。


「ね、ね、それでそれで?」


期待に満ちた瞳で、鼻息荒く僕に詰め寄ってくる。

新見はちょっと、恋愛に関してはいろいろ勘違いしているところがあるのかもしれない。

 

「OKもらえたでしょ?」


「うや」


今度は僕が、変な声を出す番だった。


「駄目でした」


「え」


「思い切りフラれました」


答えると、新見の笑顔が凍りついた。

 

やがてあからさまにしょぼーんとして、ミキちゃんに叱られたときの加奈みたいになる。

何だかこっちが申し訳ない気分だ。


「そっか。フラれちゃったか」


「うん…」


「はーあ。フラれたかあ。星島君、フラれちゃったんだあ…」


そこ、強調しないでください…。


「ごめんね、あたしがたきつけたせいで」


「いや、それこそ新見のせいじゃないと思うけど」


「絶対大丈夫だと思ったのになあ…」


「まあ、なかなか、難しいもんだ」


「そうだね。あー、なんかこっちまでショック…」


新見はぺたんと座り込む。

がっくりと肩を落として、なぜかひどく落胆の様子だ。


「ご飯が…」


おや。

ちょっと待て。

何か、話がおかしいぞ。

今、ご飯って言った?

急にあさっての方向にいったぞ?


「ご飯って?」


「卒業したら、ミキちゃんと会えないでしょ」


と、がっかりした様子の新見。


「あ、うん。そうなの?」


「だって、そんなに仲がいいわけじゃないし、電話して遊びに行くってのも難しそうだし」


「まあ、ミキちゃんだからね…」


「でも、例えばだけどさ。ミキちゃんと星島君が付き合ってたら、あれでしょ。星島君のところに遊びにいったら、セットでミキちゃんついてくるでしょ」


「まあ、そういうこともあるのかな」


「そしたら、ご飯つくってもらえるかなって」


「え。まさかそれでがっかりしてるの?」


「うん…」


知らなかったけど、新見は食いしん坊キャラだったらしい。

てっきり加奈の役目だと思っていたのに。


「だって!ミキちゃんのつくるご飯、すっごく美味しいんだよ?」


くねくねと両手を動かしながら、新見は力説した。

 

「そりゃ知ってるけどさ」


「たまには食べたいじゃない」


「じゃあ、今からでも仲良くなれば?」


「なれるかなあ。星島君はミキちゃんのこと諦めるの?」


「うーん…」


「どんな感じでふられたかにもよるけど」


「え、まあ、どんな感じっていうか…」


一応、大まかに説明をする。

うっすら、理解していた。

自分でもそうじゃないかと思っていたけど、話を聞いた新見は急にぷんぷんと怒りだした。


「何それ。告白するタイミング悪すぎでしょ!」


「やっぱり…?」


「この、このっ、このおっ、朴念仁っ!」


このあと、女心について、たっぷりと説教をいただきました…。

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