038話 村上道場


4日間の夏合宿(?)は何ごともなく終わり、オタワ世界陸上も無事閉幕した。


日本選手の活躍はあまり見られなかったが、唯一、男子円盤投げで室井和史が銀メダル。

前のオリンピックでは金メダルをとっている世界的にも有名なアスリートで、これはもう脱帽するしかない。


男子100mは、キングダム・テイラーが9秒82で優勝。


栄邦工業大学4年の後藤俊介は決勝進出はならなかったが、好調を維持しているようで、インカレでの活躍が注目される。


「まだまだ暑いなあ」


そして、絹山大学陸上競技部トラック。

真紅の太陽の下、聡志と休憩中だけど、暑くて休憩になっていないような気がする。


「ロシアは涼しいんだろ?」


「いや、どうだろ」


「何だよ。ロシア人なんだろ」


「あーもうどうだっていいけど暑い」


また練習漬けの日々だ。

 

短距離グループ全員で、全体練習を一通り終えたところだった。

遠くのほうで、インカレに出るメンバーが月刊陸上競技ジャーナルの取材を受けている。

むろん僕たちには関係ない。


「インカレに 出れない選手は 暇そうだ」


聡志が詠んだ。

文才はない。

逆に言えば、暇そうにばっかしてるからインカレに出れないとも言える。


「やりますか」


「やるか」


村上道場のメンバーが、バックストレートの奥でひっそりこそこそ練習していた。

現在のところ、道場のメンバーは5人だ。

男子は、僕とロシア人聡志と、高校の後輩、織田新一郎君。

女子は加奈と宮本真帆ちゃんの1年生コンビ。


「まぜてまぜて」


声をかけると、ミキちゃんが振り向いた。

 

真帆ちゃんと加奈はストレッチの最中。

気のせいか、真帆ちゃんのちょんまげがしおれているように見える。

きっと暑さのせいだろう。

イメージ的には、しおれたネギ。


「昨日の続き。覚えてる?」


「はーい」


「返事は伸ばさなくていいの」


早速、怒られてしまいました…。


「えと、支持脚のひざの角度を変えないこと。蹴るときにひざを完全に伸ばさないこと」


「そう。じゃあ私は仕事してくるわね」


「えーっ。ミキちゃん教えてくれないの?」


「終わったら見てあげるから」


言って、さっさとミキちゃんは行ってしまった。

何だかちょっぴり淋しかった。

名残惜しげに、ミキちゃんの背中を見送っていると、真帆ちゃんに嘲笑される。


「星島さんと村上さんって、姉と弟って感じですね」


「え、そうかな」


「怖くないんですか?」


学習しました。

これ、怖いとか恐ろしいとか、年ごろの女の子とは思えないとか言うとですよ。

あとでミキちゃんの耳に入って、大目玉を食らうパターンのやつ。


「怖い怖くないとかじゃなくて、ええと、要するに、いつも面倒を見てくれてありがとう」


「だって、見てくださいよ、あれ」


指差されて見ると、ミキちゃんが歩いていく方向にいた高柳キャプテンがいた。

こそこそと逃げて、近くにいた長距離の選手の輪に紛れ込む。

だが、その中に亜由美さんがいたので、またこそこそと逃げて、結局はトラックの端っこのほうで一人、座ってひざを抱えた。


身から出た錆のような気もするが、何だか哀れだ。


「星島さんは殴られたことないんですか?」


「ないよ、別に」


「山倉教授殴ったっていうのは本当ですかね?」


「あんまり陰口叩いてると告げ口しちゃうぞ」


「ちぇっ。先輩ぶっちゃって」


「だって先輩だもん」


「だって先輩だもん。偉そうに!」


「あれ、こんなところにゴボウがはえてる」


ぐりぐりとちょんまげを引っ張ると、真帆ちゃんは慌ててじたばたとした。


「ピョーッ!それでキンピラはつくれません!」


何だかよく分からないが、ちょっと面白かった。


真帆ちゃんが口をつぐんだところで練習を開始。

だけど聡志は、やる気がないのか練習に実が入っていなかった。


オリンピックは4年に一度あり、世界選手権は2年に一度ある。


①オリンピック

②世界選手権

③何もなし

④世界選手権


というローテーションで、今年は②だ。

来年は③の何もない年に当たる。

何もない年といっても、関カレだってインカレだってあるし、アジア大会もある。

問題は、どれにも出られないような選手の場合だ。

どうしたって、モチベーションの低下は避けられない状況にある。

まあ、世界陸上があっても出られないんだけど…。


「よし。目標は再来年の世界陸上だな」


気勢を上げるために宣言してみたけど、聡志のやる気のなさは相変わらずだった。


「んだよ、星島。熱でも出たんか」


「熱は出てないけど燃えてるぜ」


「そりゃ大変だ。カキ氷でも食べにいくか」


「くっ。諸悪の根源め」


「なんだよ。人を諸悪の根源みたいに言うなよな」


「今まさにそう言ったろ。いいかげん日本語覚えろよ」


「つかれたよー。冷たいのほしいよー」


「ロシア語で言えよ」


「そんなのシーリマセーン。ロシア人じゃアーリマセンカーラー」


ついに、聡志が壊れた。

モチベーションが下がるとこうなってしまうわけだ。


壊れた聡志の相手をしながら、それでも練習をこなしていく。

ただ積み重ねればいいわけではなくて、きっちり経験として身に付けなければならない。

集中力の要る作業だ。

暑い中、聡志がだれてしまうのも仕方がない。


ミキちゃんが仕事を終えて戻ってきたので、1年生マネージャーの詩織ちゃんに撮ってもらったビデオを見せる。

だけどミキちゃんは首を振るばかりだった。


「全然駄目ね」


「え、でも、ひざ伸びてない…、よね?」


「ひざは伸びてないけど、もっと手前で回転させなくちゃいけないんだってば」


「はい…」


「橋本君はひざも足首も伸びてる。全然集中できてないんじゃない?」


「デーキテーマセーン!」


ミキちゃんはしょっちゅう、いろんなことで怒るけど、滅多に爆発することはない。

しかし、たまに大爆発する。

高柳さんにピストルを投げつけたのは、この目で見たし。

山倉教授を殴ったのも本当らしいし。

とにかく大噴火すると大変なのだ。

なので、逆鱗に触れようとする人は滅多にいない。


でも、今、聡志は触りかけました。


「ちょっと」


半歩、ミキちゃんが聡志に詰め寄る。


「ふざけてるの?」


「あ、いえ。ごめんなさい…」


「ちゃんと集中しなさいよ」


「はい」


見ている僕もかなりひやっとしたけど、本人はもっと焦ったに違いない。

聡志の背筋がピンと伸びて、顔も心なしかシャキっとしたように見えた。

どうやら、壊れていたのが直ったようだ。

よかった。


「宮本さんも同じ。前原さんは論外ね」


予想どおりというか、加奈は駄目駄目だった。


「かかとを太ももにくっ付ける感じで、それで骨盤の下にきたらすぐ振り上げないと」


「え、ど、どのへんですか」


ここで、ミキちゃんの秘密兵器、買ったばかりのモバイルノートPCが登場。

ずっと欲しかったらしく、ちょっぴりうれしそうだ。


お手本として見せられたのは、トリニダード・トバコのクインシー・ロジャースだ。

世界大会の決勝常連で、先の世界陸上では銅メダルを獲得した。

日本人の体格なら参考になるらしい。


「これよ、これ」


真横から、スローで見るとわりと分かりやすい。

不思議なもので、ロジャースだけ手を抜いて走っているように見える。

やわらかくて、ぽんぽんとスキップしているような軽い走りだ。


「見てると簡単そうなんだけどなあ」


「そう。じゃあやってみましょうか」


「うう…」


言うほど簡単なことではなかった。

言うだけなら簡単なのだ、本当に。


言うだけでいいなら、例えば、学校のテストなんか余裕で満点取れる。

答えは、教科書に書いてあるわけだし。

数学とかヒアリングとかは別かもしれないけど、日本史とか世界史なら確実に満点取れる。

言うだけなら、そう言える。

でもそう簡単にいかないって、みんな分かってるよね…?


そのうえ、スポーツには教科書がないわけ。

だから、できなくても仕方がないんだよ!

と、ミキちゃんに誰か言ってあげてください…。

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