031話 バッドボーイ


土曜の午後、財布を拾った。


ものすごく暑い日だった。

学生協で朝食兼昼食を食べて、トラックに向かって歩いていたとき、アスファルトの上に落ちている女性ものの財布を見つけたのだ。


(んー…?)


陸上部の誰かのものだろうか。


そう思ってとりあえず拾い、砂を払う。

高級そうな革の財布で、金具のところがものすごく熱くなっていた。

この天気では無理もない。


あまりの暑さに足をひきずるようにトラックまで歩いていくと、入口の近くの水飲み場で、女の子が何人か集まっておしゃべりしていた。


「げ、星島君だ。おはよ」


その中に知香ちゃんがいて、何かビームが出そうなポーズをする。

ハイジャンプの、ナニワのあきんどだ。


「げって何だよ。げって」


「あ、星島君おはよーっ」


「おはよーっ」


「やほーっ」


みんな、笑顔で口々にあいさつしてくれる。

男子たるもの、それだけでけっこううれしい。


「おはよ。これ、そこで拾ったんだけど、誰のかな?」


財布を見せる。

ぐっと女の子たちの視線が集まった。


「それ沙耶のだよ」


即答する知香ちゃん。遅れてほかの子たちも気付いたようだった。


「あ、ホントだ」


「ティナ・ランバートンの限定モデル」


「買えば20万ぐらいするらしいよ」


「なんかもらったんだって。お偉いさんに」


「いいよねえ」


何だか騒々しいけど、とにかく、知らなくてもいいことまで一瞬で分かった。


「知香ちゃん渡しといてくれる?」


頼んだけど、知香ちゃんはむふふと笑った。


「自分でいけばいいじゃん。部室にいるから」


「星島君、1割もらえるかもよ」


「ついでにあたしももらって!とか言われたりして」


「あははは。杏子先輩みたい」


「星島君、もらっちゃえ!」


「アハハハハ」


女の子の集団はどうも苦手だ。


モゴモゴと返事をしてそこを後にすると、僕は部室のほうに向かった。

2階建てのちょっと立派な部室は、トラックに入って左の一番奥にある。

便が悪いけど、目が届く位置にあるから、少なくとも不審者に出入りされることはない。

5mほど上の石垣を降りれば別だが、そこまでして部室に侵入したとしても得るものは少ないだろう。


「あ」


ちょうど、部室から私服姿の新見が出てきたところだった。

黙って近づいていって財布を差し出すと、ぱっと表情が咲く。

やっぱり新見には笑顔が一番だと思った。


「あ!」


「新見のでしょ?」


「うん。よかったあ、どうしようかと思った」


「入口の近くに落ちてたよ」


「携帯いじってたときかなあ。ありがとね」


心底、ほっとした表情だった。

偶然とはいえ、僕が拾ってよかったと思う。


「中、見た?」


「あ、ううん。知香ちゃんに聞いた」


答えると、新見は財布を開けた。

お札とかカードとか、念入りに調べている。


「大丈夫みたい。ほんとありがとね」


新見は顔を上げて、また太陽のような笑顔を見せた。

中身が無事でほっとした。

お金はもちろんだけど、カードとか無くなっていたらかなり面倒だからだ。


「お礼に、なんかごちそうするね」


「え。いいよいいよ、別に」


「今日、何か用事ある?」


「いや、用事はないけど…」


「じゃあ、こっそり空けといてね」


秘密めいた言い方をすると、新見は返事を待たずに部室の中に戻っていった。

彼女を見送って、僕はドアを開けて男子の部室に入り、無言で万歳をした。


(杏子さんに知られないようにせねば!)


デビル杏子に知られた瞬間、この幸福は泡のように消えうせてしまうだろう。

それだけは絶対に避けなければならないと思った。


(うっしっし。デートだ、デートだ!)


半分、浮かれながら練習を始める。

 

いつものようにアップをして、ミキちゃんに練習を見てもらう。

だけど、浮かれすぎていたのか、何度か叱られた。


「ちょっと。集中してやってよね」


機嫌を損ねたのか、眉毛が持ち上がっている。

まずいと思って、僕は慌てて謝った。


「ごめんなさい」


「そんなんじゃ練習する意味ないでしょ」


「いやあ。ミキちゃんに見とれちゃってさ!」


「そう。私が邪魔ならもうやめるわ」


逆効果だった。僕は慌てて手を振った。


「いや、嘘、全然見とれてない」


あれ、おかしいぞ。

何だか、すごく失礼な感じになってしまった気がする…。


「いや、見とれてないわけじゃないけど、実はそうじゃなくて、あ、そうじゃないっていうのはミキちゃんがどうこうじゃなくて、つまり、今日いいことがあって、要するに、ミキちゃんがどうのじゃなくて」


「とりあえず落ち着いたら?」


ため息をつかれてしまいました…。


弁解が功を奏したのか、ミキちゃんがやや機嫌を直したのでまた練習を再開する。


ただでさえ暑いのに、運動しているので嫌になるくらい暑い。

汗がとまらなくて、何度も汗を拭ったけどきりがない状態だった。

熱中症にならないように、何度も水分を補給したけど、それがすぐに全部出ていってしまうような感じだ。


そんなとき、こういう日には話をしたくない男がやってきた。

すなわち、無駄に暑苦しいチーム代表のキャプテン高柳様が、聞きたくもない自慢話をしにやってきたのだった。


「ようよう聞いてくれよ。さっきさあ、女の子と一緒に写真撮らせさせてくれって言われちゃってさあ!」


内容もそうだが、若干、日本語もおかしい。


この人の脳みそは、きっと、マシュマロか何かでできているに違いない。

もしくは神様が、スプリントの才能を与える代わりに、頭蓋骨の中にキャラメルコーンを詰めたのだ。

とにかく、頼もしかった前キャプテンの柏木さんと比べると、落差が激し過ぎる。


「けっこう可愛かったから、電話番号聞いたら、すんなり教えてくれてよう」


「よかったですね」


「おっと。その手は食わないぞ!」


突然、ずさっと飛び退いて変なポーズをする高柳さん。

知香ちゃんといい、もしかすると最近、変なポーズが流行っているのだろうか。


「は?」


「亜由美に告げ口するつもりだろ!」


「いえ。別にしませんよ」


「ならいい。ミキもするんじゃないぞ!」


高柳さんはびしっとミキちゃんを指さした。

ミキちゃんは明らかにうんざりした表情で、そっぽを向いて返事すらしなかった。


「ちぇっ。愛想のないやつだ。なあ?」


同意を求められても困るので、僕は黙っていた。

というか、内心、僕も高柳さんにはうんざりしていたのだ。


「せっかく美人なんだから、もうちょっと愛想よくすればいいのによ。そんなんじゃ一生処女だぞ」


それが、カチンときたらしい。


眉毛が直角に近くなったかと思うと、ミキちゃんの周囲の空気が揺らいだ。

もしかして変身するんじゃないかと思ったぐらいの怒気で、いきなり、ミキちゃんは持っていたピストルを高柳さんに投げつけた。

放ったのではなく、上手投げで全力で投げつけたのだ。


僕の母校、仲浜高校のソフトボール部は、県ではそこそこの強豪校だった。


ソフト部は陸上部と練習スペースが重なっていたので、しょっちゅう練習は目にしていたんだけど、その仲浜高校のソフト部の選手に比べても遜色ないくらい、ミキちゃんの投球は見事なものだった。

ボールを投げたわけではないので投球というのはおかしいが、とにかく、かなりの速度。

しかもコントロールも正確で、急所目がめてまっすぐ飛んでいった。


「ぎゃっ」


ガツンと音がして、ピストルは高柳さんの顔面を直撃した。


まず僕が思ったのは、5万円もする高価なピストルが壊れていないかということだった。

5万円と高柳さんなら明らかに5万円のほうが大事だから、的確な判断だったといえよう。


僕がピストルを拾い上げたときには、既にミキちゃんはずんずんと部室に向かって歩いているところだった。

固まっておしゃべりしていた選手たちが、2つに分かれてささっと避難する。


「いってーっ!」


相当痛かったらしく、高柳さんが顔を押さえて悶絶している。

大したことはなさそうだが、少し血が出ているようだ。

間違いなく自業自得だけど、さすがにちょっと可哀想だった。


「どうしたの?」


騒ぎを聞きつけて、たこ焼きマシーン亜由美さんがやってくる。

なぜか、加奈も亜由美さんについてやってきた。

救急箱を持ったマネージャーの詩織ちゃんも慌ててやってきたけど、高柳さんだということに気付いて、ものすごく嫌そうな顔をした。


いつも明るい詩織ちゃん。

誰にでも優しい詩織ちゃん。

陸上部のマスコット的存在の詩織ちゃんが、あからさまにそんな嫌そうな顔をすると思わなかったので、さすがにちょっと驚いた。


この人、そこまで嫌われていたのか…。


「何?何があったの?」


亜由美さんに聞かれたので、こっそり耳打ちで事実を伝えた。

最後まで、亜由美さんは黙って聞いていたけど、深いため息をついて高柳さんを見た。

気持ちが痛いほど分かる。僕だってため息をつきたいぐらいだ。


「智之、まだ痛い?」


「いてーよ!いってーっ!」


「じゃあちょっと足開いて」


気付きそうなものだが、痛くて気にする様子もないらしい。

 

亜由美さんの指示通りに動いた高柳さんの股間に、亜由美さんのキックが派手に炸裂した。

聞いたことのないようなものすごい音で、見ていた僕が縮こまってしまったほどだ。


「前から考えてたけど、もう別れる。さよなら」


倒れ込んだ高柳さんに三行半を突きつけて、亜由美さんはさっさと戻っていった。

加奈はよく分からないというような表情で僕を見た。

それから慌てて亜由美さんを見て、また僕を見た。


「あ、そういえばそろそろ塾の時間!」


ポン、とわざとらしく手を叩いて亜由美さんを追っていく。

塾通いしてる大学生、いますかね…。


そして残ったのは、僕と詩織ちゃん。

困ったような表情で、詩織ちゃんはポニーテールを揺らした。

目が合って、心と心が通じ合う。


「あ。誰か呼んでます!」

「あ、おれも!」

「ほい!」


絆創膏を一枚、ペシンと投げ付けて、詩織ちゃんは逃げ出した。

僕も慌ててそのあとを追って、苦悶の表情を浮かべている男が置き去りにされた。

残念なことに、その男こそ、わが絹山大学陸上競技部のキャプテンなのだった。

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