025話 期待と落胆と納得感


ミキちゃんからありがたい説教を5分ほど頂戴してから、トラックを出て、僕は駅への階段を降りていった。


陸上部のトラックから最寄りの金谷山駅までは徒歩5分、大して時間もかからない。

電車の間隔はさほど多くなく、ピーク時でも20分おきぐらいだ。

僕が着いたのは前の電車が発車してすぐの時間で、かなり待たねばならなかった。


1カ所しかない改札を抜けて、右側の階段をのぼって短い通路を歩いていく。


「お」


腕時計を確認しながら、上りのホームへの階段を下りていくと、ベンチのところに新見の姿が見えた。


何か熱心に携帯を操作している。一人のようだった。

ちょっと考えて、僕は新見の隣に座った。

新見はちらっと僕のほうを見て、僕に気が付いて、それから笑顔を見せた。


「びっくり。誰かと思った」


「おっすおっす」


「帰るの?」


「うん。新見は?」


「知香ちゃんとご飯食べに行く約束だったんだけど、用事できちゃったみたい」


「ふうん」


新見と仲のいい、ナニワのあきんどだ。

それはそれとして、これはつまりチャンスなのかもしれない。

パタンと携帯を閉じた新見に、僕は思い切って話しかけた。


「一緒に行く?」


「え?」


「あ、いや、ご飯…」


多少、尻すぼみだったが、どうにか意味は伝わったようだ。

 

新見は僕を見るとぱちりと瞬きをして、それから手にした携帯電話をじっと見つめた。

ちょっと悩んでいる様子だった。


「おごります。あ、牛丼じゃなくてもいいよ」


「あはははは。じゃあ、うん、行こっか」


「わーい」


「割り勘でいいよ」


「いやいやここは僕が」


「いえいえ私が私が」


そのときだった。


喜ぶ僕の視界に、このシチュエーションで一番会いたくない人の姿が見えた。

こういうとき一番出会いたくない人物は誰かって、そんなのは決まってる。

すなわち、杏子さんが千晶さんと並んで階段を下りてきて、僕と新見を見るなり、ずっと昔に失くしたおもちゃを見つけたときのような、つまりものすごくうれしそうな表情を浮かべて、練習後で疲れているはずなのに、軽やかにスキップしながら近づいてきたのだった。


「何、あんたら何、何してんの?」


好奇心というか、いじわる心満載。

千晶さんが袖を引っ張るけどお構いなしだった。


「沙耶、星島はあたしのなんだからちょっかい出したら駄目だって!」


「べ、別にそんなんじゃないですよ」


新見が慌てて否定する。

事実には違いないけど、何となく淋しい。


「本当?じゃあどこ行くつもりだったのさ」


「どこって、ただ、たまたま会って、ご飯食べに行こうかって」


「ふうん。それだけ?」


隣に座ると、杏子さんは新見のほっぺたをぷにぷにと触った。


「それだけですよう」


「ほんとにぃ?」


「本当ですって。一緒に行きます?」


むろん、杏子さんが遠慮という日本語を知っているわけもない。

かくして僕の喜びは、デビル杏子が登場してから数十秒のうちに落胆へと変わった。


僕と新見は、縁がないのかもしれない。

一人、落胆する僕をよそに、杏子さんはうきうきしていた。

とにかくこの人、みんなでわいわい騒ぐのが好きなのだ。


「よし。千晶、あそこ電話入れといて」


張り切って、千晶さんの肩をペタペタ叩く。

どこに行くというのは全部決めちゃうくせに、予約とかそういうのは全部人任せなのだ。


「はいはい。どこですか?」


「駅裏の、ほら、何だっけ。あそこ、モ…、モラ…、パスタの美味しい店」


「ヴィットーレですね」


「そうそう」


モラはどこから来たのか分からないが、杏子さんは笑顔でうなずいた。


「別に何でもいいんだけどさ、パスタって気分じゃない?別のお寿司でも焼肉でもいいんだけどさ。イタリアンとか?いや別になんでもいいんだけど」


「じゃあ、焼肉にしましょうか」


言ってみると、杏子はぷうっと頬を膨らませた。


「え?いや、何でもいいけどさ。でもパスタでもよくない?もう千晶電話しちゃってるし」


「あ、まだしてないから大丈夫ですよ」


「そう?でもパスタなら早めに電話しといたほうよくない?人気の店だから。いや別に何でもいいんだけど。焼肉でも…」


言い訳がましく言いながら、僕の肩をゆさゆさと揺さぶってくる。

ぎこちない女王…。


結局はパスタになって、電車に乗り市街地まで出て、僕たちは西口へと下り立った。

少し歩いていって、ティナ・ランバートンというブランドのショールームの前を通り過ぎて路地裏へ。

なるほど、そこにはイタリアンレストランの看板が出ていた。


「ここだここだ」


「へー。高そうな…?」


「星島のおごりだから大丈夫」


「ギャフン」


イタリアの国旗をあしらった配色に、筆記体で店名らしきものが書かれている。

入口の側には立て看板が据えられていたが、それは黒板になっており、手書きで本日のお奨めメニューが記されていた。

値段は、まあファミレスなんかよりはちょっとお高めだ。


狭い階段を下りていって店に入る。

地下だが、明るい店だ。

全体的にクリームイエローやアプリコットで統一されている。

クリーム色の壁のあちこちに、小さなランプが眩く輝いていて、天井はどこまでもすうっと伸びている。


「きれいな店ですね」


呟くと、杏子さんがするりと腕を回してくる。


「そんなにあたしきれい?」


「そんなことは言ってません」


「今度、二人で来ようね」


「ああ。バイトの面接ね」


「ぎゃふん!」


ところどころ、窓をあしらって古典的な洋画が飾られていて、カーテンと窓枠がついているのが洒落ている。

薄いベビーブルーのテーブルクロスが鮮やかで、テーブルには花がそえられており、木編みの椅子が整然と並んでいた。


高級店では決してない。

だけど雰囲気がよくて、若い人で店内は賑わっていた。

要するに、おしゃれな店というやつだろうか。


「星島、いつも弁当とかカップラーメンなんでしょ」


新見の隣に座り、メニューを見ていると杏子さんに指摘された。

ミキちゃんといい杏子さんといい、超能力?と思ったけど、そうではないだろう。

初歩的な推理だ。


「まあ、そんなようなものです」


「ちゃんと、栄養バランスを考えないと」


「はい」


「好き嫌いせず、野菜もちゃんと食べること」


「はい」


「ご飯食べ終わったらあたしも食べること!」


「いえ」


それぞれ注文を終える。

新見と2人きりでご飯を食べに行けると思ったのに、残念でならないが、女の子3人と食事も悪くない。

人気者になった気分だった。


料理は非常に美味しかった。

サラダも新鮮で美味しいし、パスタも旨かった。

あと、杏子さんが頼んだ牛肉の煮込みを一口もらったけど、口の中で溶けて僕も溶けるほどだった。

お洒落な店だし、人気があるのも分かる。


「さーて」


自分のぶんを食べ終えて、優雅にワインを飲みながら杏子さんは僕を見た。


「後輩も頑張ってるし、今年はちょっとあたしも頑張らないとね。日本一目指して」


「そうですね」


「あと、今晩も頑張ろうね!」


「いえ」


杏子さんは、去年の日本選手権では僅差の2位で、今年こそは日本一と燃えている。


こう見えて、というとおかしいが、杏子さんは美人でかなりの実力者なので、テレビに出演することも多い。

カメラの前では借りてきた猫をかぶっていて、正統派の美人みたいに映っている。

ずるいと思うけど、テレビ映えするので、チャンピオンの小林由紀より露出がかなり多い。


正直、実力的には、小林由紀のほうが一枚上手かなという感じだ。

だけど杏子さんは今年で卒業だし、どうにか有終の美を飾ってほしい。


「やっぱあれだね。作戦Sしかないね」


「作戦S?」


新見が尋ねて、杏子さんが言いかけるのを僕は慌てて制した。


「やめなさい。仮にも女の子なんだから」


「仮にもって何さ」


「小林さんに失礼でしょ」


「あうーん」


杏子さんは変な声を出してほっぺたを膨らませ、テーブルの下で僕の足を蹴った。

向こうずねに当たってちょっと痛かった。


「まあいいや。とにかく、勝つのみだ!」


「頑張りましょね」


「沙耶はいいの、これ以上頑張らなくて」


新見沙耶は、これはもう間違いなく日本一のスプリンターだ。

こうして肩を並べて食事しているのが不思議なほどで、短距離をやっている女子からみれば雲上人みたいな選手なのである。


新見の影に隠れてしまっているが、千晶さんもかなりの選手。

去年の日本選手権では200mで5位。むろん、今年はもっと上位をと意気込んでいる。


さて。

当の僕はというと、インターハイ出場経験なし。

関カレもインカレも出場経験はない。

その他、主な戦歴なし。

日本選手権初出場。

自己ベストは、エントリーした40人中40番目の10秒49。

とてもじゃないけどまともに勝負できる感じではない。


だけど、今シーズンは調子がいいし、何となく地力がついてきた気がする。

その証拠にベストタイムも一気に縮めた。

日本選手権への切符も初めて手にした。

こうなったら頑張るしかない。


「おれも、頑張って…」


小さくつぶやくと、3人が一斉に僕を見た。


「ん?」


「頑張って、1本でも多く走らなきゃ」


「そうだね。星島はとにかく経験を積まなきゃ」


「はい」


「あたしとも経験してみないとね!」


「いえ」


杏子さんは相変わらずだった。

だけど、その心根はとても優しかった。

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