014話 頭文字S


繰り返すけど、浅海杏子さんは美人なんです。

胸はあんまりないけど。

いい匂いがするし…。


それが、首に手を絡めて30センチに迫ってきたら、そんなの、どきどきするに決まってるじゃないですか。


「な、何?」


「うひひ。お祝いしてあげる」


例の、何かをたくらんでいる怪しげな笑い。


「いえ。いいです、別に」


「耳貸して」


「え、何?」


「いいから」


ちょっと耳を近づけると、杏子さんは僕の頬にキスをした。


「あははは。まあこのくらいかな」


心底、うれしそうに杏子さんは笑った。

この酔っぱらいがと思ったけど、僕もうれしかった。

男なんて所詮、そんなものだ。


「ま、たまにはね、サービスサービスっ!」


杏子さんは、400mの選手らしい、しなやかな身体の持ち主だ。

 

ミニスカートから伸びたすらりとした素足が目の前にあって、僕はかなり動揺した。

視線に気付いたのか、杏子さんはウヒヒヒと極めて下品に笑って、わざと大きく脚を持ち上げて組み直した。

 

見えました。白。


「ほれほれ。もっと見たい?」


残念なことに、杏子さんに慎みという概念はない。


「こら。やめなさい」


「あはは。キスのほうがいいか」


今の日本、千晶さん以外に大和撫子はもういないのか。

助けを求めてキッチンのほうを見たけど、誰もが壊れたラジオのように無反応だった。


「星島、彼女いないんだよね?」


僕の首に手を回したまま、杏子さんは続けた。


「いないけど…」


「じゃあいろいろたまって大変だろ」


「な、何が?」


「ナニがだよ。あたしがしてあげよっか」


「にゃ、何を?」


杏子さんは、僕の耳に吐息を吹きかけ、情感たっぷりに囁いた。


「頭にセが付く四文字」


杏子さんと、そんなこと、したいに決まっている。

 

だけど、きっとこれは罠だ。

もしうっかりうなずいたりしたら、杏子さんはうれしそうな顔をして立ち上がり、くるくる回りながらキッチンまで走っていって、あることないこと吹聴するに違いない。


「いや、いい、大丈夫」


慌てて首を振る。


「じゃあ千晶にしてもらう?あの子、ああ見えてかなり得意だからさ」


「と、得意って…」


「テクニックがすごいらしいよ」


僕はぼんやりと想像した。

千晶さん、大人しそうなのに…。


「ああ見えて、毎日たっぷりやりまくってるらしいし」


「ま、毎日たっぷり…」


一瞬、ものすごい絵を想像して、僕は慌てて首を振った。


「そ、そういうの、千晶さんに失礼!駄目!こら!」


「え。何で?」


「そ、そういうの、しかも他人のこと、わざわざ言いふらすようなことじゃないでしょ!」


「あっはははは!何勘違いしてんの!」


心底、うれしそうな表情の杏子さん。


「あたしが言ってんのは洗濯だよ、セ・ン・タ・ク!洗濯物たまってるかと思ってさあ!」


僕はがくりと肩を落とした。

本当、この人は、もう…。


「でも、星島がしたいならそっちでもいいよ」


「な、何?」


「だから、頭にセが付く4文字。二文字目が小さいツ!」


「せっ、せ、せ、接待?」


「惜しい!接吻!」


むにゅーっと唇を突き出してきたので、手のひらで回避する。

 

まだ何かもごもごと言っていたが、ようやく千晶さんが来て助け船を出してくれた。

おつまみにチーズとハムを持ってきてくれたのだ。


「あまりいじめちゃ駄目ですよ」


「はももももも」


「星島君に嫌われたくないでしょ」


「むー」


ちょっと考えて、杏子さんがコクンとうなずく。


やっぱり、杏子さんの扱いは千晶さんが一番うまい。

千晶さんが戻っていったところで、タイミングよく玄関のベルが鳴った。

僕の手をはがすと、杏子さんは僕のおでこに軽くキスをして、うひひと笑いながら立ち上がって玄関に出ていった。


逃げるようにキッチンに向かうと、用もなくキッチンをうろうろしていた聡志が同情してく

れる。


「うらやましい…」


違った。

同情じゃなかった。

指をくわえて僕を恨めしそうに見ている。


「もう星島なんて、星島なんて、土管から出てきた花に食べられちゃえ!」


「うん…、お前は何をしようとしてるんだ?」


加奈が、僕の横に立って唇を近付けようとしていたのだった。

超能力者じゃないけど、何をしようとしているのかは分かった。


「あたしも、あたしも」


体をくねらせるけどちっとも可愛くない。


「いいから、そっち行って座ってろ」


「あーん」


「ほら、サトルも」


「はいはい」


加奈と、ついにサトルを受け入れた聡志をリビングのほうに追いやると、僕は一息ついていすに座った。

千晶さんは軽く笑ってみせただけだった。

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