007話 絵になる人


次の日はオフだった。


彼女もいない男子大学生が、休みの日にすることなんてたかがしれている。

ゲームをして、マンガを読んで、それで昼寝をして。

夜はゼミの友人Aと飯を食べに行った。

それでオフは終わりだ。


翌日の午後、特に出なければならない講義もなかったので僕は早めにトラックに向かった。

まあ、講義はあるんだけど、端的に言えば自主休講だ。

出席も取らないし、テストさえクリアすれば問題ない。

大丈夫だと思う。

たぶん。


(楽勝楽勝。たぶん)


自分にいろいろ言い聞かせながら、念のため、講義棟の掲示板で連絡事項をチェック。

それから坂を降りて競技場へと歩いていく。

人通りの少ない道だ。


(うむん?)


その坂の途中で、アスファルトに座り込んでいる美女を見つけた。

腰まで届く長い髪で、遠くからでもすぐに分かる。ミキちゃんだ。


青い空。

はるか遠く、鮮やかに白い雲。

木々の緑。さわやかな風。

どこからか聞こえてくる運動部の掛け声。小鳥のさえずり。

そして、アスファルトに座る長髪の美女、村上美樹。


絵になるが、どうも様子がおかしい。


「どうしたの?」


近寄っていって声をかける。

細いジーンズ姿のミキちゃんは、座って足をさすっていたけど、ちょっとだけ僕を見上げて

ぷいっとそっぽを向いた。


「講義は?」


逆に、質問してくる。


「うん、まあ…」


「気を付けなさいよ。留年なんかしないように」


「あ、でも、英会話の勉強はしてるんだよ。こないだ言われたから」


「ふうん」


世界を相手に戦うなら、英語くらい覚えておいたほうがいい。

陸上を辞めたあとだって武器になる。

そういうふうに言われたのだ。

確かにそのとおりだし、経済の専門科目を勉強するよりは面白いだろうと思って、ちょこちょことやり始めてみた。

の、だ、が、今はまだ中学英語の復習をしている感じだ。


しゃべるのはともかく聞くのが難しい。

まあでも、ミキちゃんの言うことはいつも正しいので、頑張ってみるつもり。


「ところで、何してるの?」


話を元に戻したが、顔すら見てくれなかった。


「別に」


「足でも捻った?」


「なんでもない」


「なんでもないって…、大丈夫?」


ミキちゃんは答えなかった。

しつこいかなと思ったけど、睨まれるのを覚悟で、僕はミキちゃんの横にしゃがみ込んだ。


「立てる?」


「ほっといて。あとでテーピングでもしとくから」


「ほっといてって…」


だからといって、ああそうさよなら、といってその場を離れるわけにもいくまい。


ちょっとだけ考えて、僕はきょろきょろと周囲を見回した。

誰もいないのを確認すると、ミキちゃんの前に移動して腰を下ろす。


「部室までおんぶして———」


全部言わないうちに、ドンと突き飛ばされた。


「にょっ」


バランスを崩して、慌てて、アスファルトに手を付く。

手のひらにとがった石が刺さってちょっと痛かった。


「な、あぶね。殺す気?」


「それならもっと力入れてるわ」


人をいきなり突き飛ばしておいて、ミキちゃんは至極平然とした表情だった。

油断して背中を見せた僕が悪いのかもしれないけど、でも、ゴルゴじゃないんだから仕方ないのだ。


まあ、ちょっと調子に乗って馴れ馴れしかったのは認める。

勝手に、仲良くなったような気になってしまっていたのだ。

だからといって、いきなり突き飛ばすことはないじゃないか。

口で言えば分かることだ。



口で言え、口で!



そういうふうに、口で言うことはできなかった。

だって、怖いんだもん。


「ほっといてって言ってるでしょ」


相変わらずの仏頂面。

試しに一度、爆笑してみてほしい。


「そうだけど…、ちょっと待ってて」


「何?」


「ここにいてね。動かないでね」


「何よ」


「いいから!」


別に難しい問題ではない。

坂を駆け下りてトラックに向かうと、僕は部室まで走った。

救急箱を持ってこようと思ったのだけど、ちょうど、マネージャーの青山詩織が部室から出てきたところだった。


「おはようございますーっ」


僕を見て、詩織ちゃんが笑顔で軽く頭を下げる。

ぴょこんと揺れるポニーテールが可愛い。


「おはよ。救急箱借りれる?」


「どうかしました?」


「ミキちゃんが足ひねったみたい」


「あ、すぐいきますーっ」


一緒に来てくれるらしい。

詩織ちゃんがすぐに救急箱を持って出てきたので、それを受け取って一緒に駆け足で現場へと急行する。

まさに、急行って感じ。

詩織ちゃんはもともと長距離の選手で、レベル的には大した選手ではなかったそうだけど、さすがに健脚だった。

僕のほうが息を弾ませていたほどだ。


動けないのか僕に言われて大人しく待っていたのか、ミキちゃんは同じ場所にいた。


「お待たせしました」


詩織ちゃんはミキちゃんの前にしゃがみ込むと、救急箱からコールドスプレーと湿布とテーピングをとりだした。

ところで、例のコールドスプレーはどうなったのかしら…。


「大丈夫ですか?」


心配そうに、詩織ちゃんがのぞき込むと、ちょっとだけ、ミキちゃんの表情が緩んだように見えた。


「平気。くせになってるだけだから」


「どうしましょう。テーピングだけ?」


「自分でやるからいいわ」


「やらせてください!うまくなりませんから。練習」


半分、出していた手をミキちゃんが引っ込める。

 

お世辞にも、詩織ちゃんの手さばきは見事とは言えなかったけど、最後までミキちゃんは口出ししなかった。

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