006話 春の風


ハードルは、まあ1本2本ならいいが、5本6本となるとかなり重い。


小さい青山詩織にしてみれば大変だろう。

うんしょうんしょと運んでいるので、走っていってハードルを持ってあげた。


「あ、ありがとうございます」


女の子らしい、明るい声。

マネージャーの青山詩織は顔を持ち上げて、うれしそうに笑顔を見せた。

いつも元気で明るくて、けっこう可愛くて、わりとみんなの人気者だ。


「これで全部?」


「はい」


部室にハードルを片付けると、詩織ちゃんはポケットからチョコをとりだして僕にくれた。

10円チョコ。

たいしたものじゃないけど、彼女はいつもこうやって、お菓子で人を手懐けている。


「はい、ごほうび」


「わーい」


ちょっぴりビターなチョコレート。

キャラメルが入っているのがうれしいのだ。


「何か用でした?」


「あ、そうだ。ビデオ撮るの手伝ってほしいんだけど」


「はーい。どこでですか?」


「バックストレートの、あっちのほう」


「了解しました!」


元気よく返事をして、たたたっと部室の中に走っていく。

社交性とか笑顔とか元気とか、半分でいいからミキちゃんに分けてあげてほしい。

同じマネージャーなのになぁ…。


「お待たせですーっ」


戻ってきた詩織ちゃんと2人で、バックストレートの端に移動する。

邪魔にならない場所。

僕だって陸上部なわけだから、堂々とどこでも使えばいいんだろうけど。


「このへんでいっか。30mのポイントを撮ってほしいんだけど」


「はーい。カメラ動かします?」


「固定でいいかな。固定でいいのかな…?」


「村上さんはいつも、このへんからこうやって…」


カメラを動かす仕草をしてみせる。

阿吽の呼吸というか、話が早くて助かります。


「じゃあ、それで」


「分っかりました。撮りますよーっ」


三脚でビデオを固定して撮影を始める。

 

それきり、詩織ちゃんは何もしゃべらなくなった。

ビデオに声が入らないようにだと思うけど、そうすると、何だか急に撮られていることに緊張してしまった。


「よーし。やるか」


一人でぺらぺらしゃべっても仕方ないので、結局は僕も無言になる。

 

黙々とスタート練習をする僕。 無言でそれを録画する詩織ちゃん。

何だか、シュールな絵だ。

俯瞰で見てみたいなとか思いながら、時折、ミキちゃんの姿をトラックに探したりした。



「おい。星島」



10分くらいたったころだった。

いつの間にか、すぐ後ろにジャージ姿の監督が腕を組んで立っていて、僕はちょっとびくりとしてしまった。


稲森啓次郎、58歳。

いつも帽子をかぶっていてサングラスをかけており、あごひげを蓄えている。

強面の監督で、実際に怖いが、大学陸上界きっての名将として名高い。

自身が100mと走り幅跳びの選手だったこともあって、短距離と跳躍系種目に関しては造詣が深いようだ。


「は、はい。なんですか」


「もう少し低く飛び出せよ」


ドスの効いた声。

指導なのか脅迫なのか、どうにも区別が付かない。


「重心移動ができてねえんだよな」


監督はミキちゃんと同じことを言った。

どうやら、僕の走りはそうらしい。


「身体浮きすぎだ。いきなり浮いてるから加速できねえんだよ」


「は、はい…」


「構えてみろ」


「はい」


スターティングブロックについて、用意の姿勢をとる。


「もう少し、重心前に置け」


「前に…」


「軸をまっすぐにして45度で飛び出せ」


見よう見まねで飛び出して、戻ってくるともう監督はいなかった。


高跳びのピットのところで、水沢咲希の練習を見ている。

もうちょっとちゃんと見てほしかったけど、ミキちゃんから何か言われて気にしてくれたのかもしれない。

だとしたら何か一言、僕からもあいさつ的なものが必要なのかしら。

そう悩んでいると、ミキちゃんが戻ってきた。


僕の前を素通りして詩織ちゃんのところにいき、ビデオを受け取る。


「終わり?」


聞いてみると、ミキちゃんはうっとうしそうに髪をはねのけながら僕を見た。


「うん。すぐ見てあげたいけど、後で」


「そか。しおりん、ありがとね」


「はーい」


にこっと笑って詩織ちゃんが戻っていき、ミキちゃんも誰かに呼ばれて戻っていく。


さて、僕はこれからどうしよう。

サーキットトレーニングに合流しようかなと思っていると、何かわめき散らしながら、バタバタと加奈が走ってきた。

やっぱり、ゆっくり練習させてはくれないようだった。


「のぞむくーんっ」


練習をしながら横目で見ていたが、加奈はスポーツテストよろしく一通りの種目を体験させ

られ、最後に1500mを走らされて、そのまま倒れ込んでへばっていたようだ。

持久力はないらしい。

まあ、体格的に見て長距離タイプではなさそうだ。

短距離とか幅跳びとか投擲とか、やるならそのへんだろうか。

ハードルとかも、意外に面白いかも。


「のぞむくんってば!」


大声で名前を呼ばれると、少し恥ずかしい。


「なんだよ」


「早いけど、もう今日は終わっていいって」


満面の笑顔。加奈はものすごく表情が豊かだ。


「そう。お疲れさん」


「待ってるから、終わったら一緒に帰ろ?」


「いいよ。一人で帰れ」


「えーっ。昨日も一緒に帰れなかったのに。積もる話もまだしてないのに!」


まったく、騒がしい。

 

通りがかった新見が、それを見てくすりと笑った。

何だかものすごく恥ずかしくなって、僕は思わず憎まれ口をたたいた。


「もう、とにかく、邪魔だから」


「あーっ。チームメイトに邪魔って言った!」


加奈はどすどすと地団駄を踏んだ。

タータンがへこまないか心配だ…。


「なんか手伝おうと思ったのに!」


「いらんいらん。初心者は自分の心配してろ」


「ハギワラ先輩は、才能あるって言ってくれたもん!」


「…誰だよ、ハギワラって」


「ハギワラサトル先輩。短距離の、2年生の、ロシアの人」


うちにはロシア人は一人しかいない。

いや、正確にはいないんだけど。


「橋本聡志だろ。名前も覚えれないのかよ」


この際、自分のことは置いておこう。


「それにそういうのをリップサービスっていうの」


「むむむむ」


加奈の眉毛が片方だけぐっと持ち上がった。

ミキちゃんのが移ったのかもしれない。


「じゃあ、じゃあじゃあ、速く走れるようになったらあたしの勝ち!」


鼻息荒く加奈は言ったけど、あまりにも唐突で、思わず笑ってしまった。


「なんだよ、それ」


「いいから!勝ったほうが、負けたほうの言うこと何でも聞くこと!」


びしっと、加奈は僕を指さしたけど、それだと勝つ意味があまりにも希薄すぎる。


「逆だろ。負けたほうが言うこと聞くんだろ」


「だからそう言ったじゃん!」


「実は言っていないんですよ、お嬢さん…」


「言・い・ま・し・た!」


「わかったわかった。じゃあ、11秒23切ったら言うこと何でも聞いてやるよ」


「絶対だよ!」


「ああ」


「約束だからね!」


「わかったって」


「よしっ。明日から特訓っ!」


鼻を鳴らすとべーっと舌を出して、加奈はバタバタと走っていった。

新見は、僕を見て微笑みながらその場を去っていった。


春の風が、かすかに緑の匂いを運んできていた。

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