004話 恋の予感がする子としない子


ちょっと聡志に同情しながらも、とりあえず部室で着替えてトラックに出る。


「のぞむくんっ!」


「お」


ちょうど、ジャージを着て靴を履きかえた加奈がトラックの上に再登場したところだった。


それはいいのだが、目がチカチカする。

高々とのぼった太陽の下。

加奈が着ているジャージが、オレンジと黄色の縦のストライプだったからだ。


しかも蛍光色。


べらぼうに目立ちすぎるのはまあいいとして、とにかくもう、カラス避けのぐるぐるをずっと見ていたときみたいに目がチカチカする。

もう、とにかく、チカチカするのだ。


「お待たせ!待った?」


「いや全然待ってない」


「またまた。待ちわびたくせに!」


ひじでぐりぐりとやられて、倒れそうになる。

自分より背の高い女の子にそれをされる日が来るとは、予想だにしていなかった。


「てかさ、そのジャージ何?」


「え。普通のジャージだけど」


聞いてみると、加奈はきょとんとした。

背中に、ASCチュニジアとか書いてある。


「もらったの。ほら、サッカーしてたから」


「なるほどね」


面倒なので軽く流したが、初耳なので、ほら、がどこからきたのかは知らない。


「本当にチュニジアに住んでたの?」


「うん。言ったじゃーん」


「いや、聞いてないよ」


「言ったってば。おととい」


「おとといは、まだ、会ってないと、思うんですが」


「ありゃ…?」


首をひねられても困るが、とにかく加奈も陸上部員になったわけだ。


しかし、ジャージ事件もスプレー事件もトウモロコシ事件も既にみんな知っていて、特にジャージを駄目にされた部員たちは白い目で彼女を見ていた。

おかげで、誰も面倒を見ようとしない。

陸上部の良心、走る大和なでしこの異名を持つ山田千晶さんに押し付けよう。

あるいは4年生の浅海杏子さんあたりがいいかな。

そんなふうに思ったけど、こういうときに限って姿が見えない。


「のぞむくんは、何の選手なの?」


人の苦労も知らず、加奈は笑顔で言った。

彼女はそんなことも知らないのだ。

まあこっちも全然彼女のことを覚えていないし、似たようなものだけど。


「一応、100mやってる」


「ふうん。じゃああたしも!」


加奈は笑顔で手を挙げたけど、僕は首を振った。


「初心者は種目よりまず基礎づくりからだ」


「えーっ。やっぱ最初はしごかれるの?」


何を心配しているのか、唇を尖らせる。


「違う。いいからいくぞ」


「足に鎖でおもり付けて、40キロくらい走るアレ?」


どれのことだろう…。


「違うっての。とりあえずアップだよ!」


「あ、なんだ。アップか」


サッカーをやっていたというから、スポーツ初心者というわけではなさそう。

まずは基本のウォーミングアップ。

ジョグで体を温めて、体操をして柔軟運動し、関節周りをしっかり動かす。

そうしないと体が動かないし、ケガの要因にもなるのだ。

 

アスリートにケガはつきものだが、リスクは極力減らさなければならない。

特に陸上競技は選手生命が短いのでなおさらだ。


ちなみに、陸上部に入ると、女の子の背中を押したり押してもらったり、そんな触れ合いがまれにあります。

男性諸君、どの部活に入ろうかと迷ったら陸上部へ!

個人種目だし、しごき的なものもほとんどないですよ!


「ん…」


その柔軟の最中、彼女の背中を押していて気がついた。


「ん?なに?」


「体、柔らかいな」


「でしょ。ほら、ぺたって」


脚を開いて、体を前に倒すとべったり地面につく。


「へえ。すごいな」


「でしょーっ。どんな体位でもできるよ!」


笑顔のまま、大きな声で爆弾発言。

しかし加奈は、何ごともなかったかのようにニコニコしている。

むしろこっちがどぎまぎしてしまった。


「た、体勢な、体勢だろ」


「ん?」


「どんな体勢でもできるってことだろ?」


「え、そういったでしょ?どんな体位でもできるって」


きょとんとする加奈。

ほっといてもよかったけど、ちょっと言葉のチョイスを間違えているようなので、それがどういう意味なのかこっそり教えてあげた。


「は、はわわわわわっ…!」


理解して、加奈はみるみるうちに真っ赤になって、手をばたばたさせた。

ちょっとだけ可愛かった。


何やかんやしゃべっているうちに、彼女と話すのがけっこう楽しくなってくる。

彼女はおしゃべりで、元気よくしゃべって元気よく笑って面白い子だった。

久しぶりに再会した幼なじみと思うからぎこちないわけで、そう思わなければ平気だった。

どうせこっちは覚えていないし、初対面と同じようなものだ。

恋の予感は、まったくしないけど。


いや、別に前ふりじゃなくて本当にしないんです。

ごめんなさい。


「う…」


4月の、暖かい日差しの中。

おしゃべりしながら柔軟をしていると、白いジャージ姿のミキちゃんが歩いてきた。

気づいて、加奈はぴたりとおしゃべりをやめた。

それから露骨に唇をとがらせて、小声でぶつぶつ呟く。


「あの人嫌い」


「ん?」


「性格悪いよね。すぐ人のこと睨むし」


まあ気持ちは分かるが、それは自分が悪いような気がする。


そんなふうに思ったけど、僕は黙っていた。

ミキちゃんはゆっくり歩いてきて、僕たちの前に仁王立ちした。

それだけで緊張して、加奈の体が硬直した。


「なんで星島くんが面倒見てるの?」


これは、怒っているわけじゃなくて普通の質問。

僕はすっかり慣れたけど、判断がけっこう難しいのでビギナーは注意が必要だ。


「いや、誰も相手してくれないから。トウモロコシ事件のせいで」


「キャプテンは?」


「まだ来てないのかな」


「そう」


トウモロコシ事件につっこんでほしいけど、彼女にそういうのを期待してはいけない。

コミュニケーションに若干の不具合がある子なのだ。


「代わる」


「あ、うん」


後ろに回って、僕の代わりに加奈の背中を押す。

腰まである長い髪がさらりと垂れ下がって、ミキちゃんは鬱陶しそうにそれを後ろにはねの

けた。

 

いったん手を離してゴムで髪を結び、再び背中を押す。


「柔らかいのね」


少し態度が軟化したかもしれない。

比較的、ミキちゃんの声は穏やかだった。


「何か運動してたの?」


「えと、はい、いろいろ」


「そのいろいろを聞いてるの」


「えと、サッカーとか…」


「とか?」


「さ、サッカーです!」


まるで、教官と訓練兵のような関係だ。


「チュニジアで?」


「ハイ」


「これはサッカーのジャージ?」


「はい」


深く追究しなかったけど、ミキちゃんは目をシパシパさせた。

そうだよね。

やっぱり、チカチカするよね…。


「ちょっと触るわね。立って」


「は、はい」


「力抜いて」


「はい。あ、あ、あの」


「何?」


ミキちゃんが見上げると、加奈は少し頬を染めた。


「ぶ、ぶ、ぶ」


「はっきり言いなさい」


「ぶ、ぶら、下着は外したほういいですか?」


「そんなとこ触らないわよ」


「あ、はい…」


触っただけで分かるのだろうか。

そんな疑問が自然とわき起こったけど、ミキちゃんは加奈の体を一通り撫で回して、185センチの加奈を見上げた。

 

ミキちゃん、まだちょっと目がチカチカしている模様。


「下地はできてるのね」


「はい?」


「運動できる体になってるってこと」


分かるんだ。

何というか、純粋にすごいなと思った。


「は、はい。一応、太らないように筋トレだけはしてました」


「ふうん。サッカーはもういいの?」


「あ、はい。日本に帰ってきたし、もうスポーツとかは金輪際いいかなと思って」


さあ、どうぞつっこんでくださいといわんばかりのセリフ。

しかし、ミキちゃんはそれには触れずに僕を見た。


「星島くん、いいわよ。自分の練習に戻って」


「ん」


「あたしが見ててあげるから」


「平気?」


「うん。誰かさんの後始末も終わったし」


ミキちゃんが言うと、加奈が遠慮がちに口を挟んだ。


「あ、あの、大丈夫ですよ。あたし、その、のぞむくんとやってますから」


ミキちゃんと2人きりになりたくなかったんだろうけど、それは余計なセリフだった。

例によって、ミキちゃんの眉毛が持ち上がる。


「あなたは大丈夫でも、星島くんは大丈夫じゃないの」


「え、あ、は、すいません…」


「他人の面倒見てる余裕なんかないんだから」


目の端で、ちろりとミキちゃんに睨まれた。

耳が痛いけど、それはまあ事実だった。


「それじゃ、任せていいかな」


「だからそう言ってるでしょ」


「そうでした。コールドスプレーはどうするの?」


一応、気になったので聞いてみると、ミキちゃんはさすがに首を捻った。


「どうしようかしら…」


「運動部に売って回ろうか」


「10本くらいは売れるかもね」


「焼け石に水か。知香ちゃんにでも相談する?」


「呼んだーっ?」


呼んでない。

これっぽっちも呼んでないけど、ずさーっと知香ちゃんが登場する。

ヒーローの変身シーンみたいな、変なポーズだった。


佐々木知香は、経済学部の2年生のハイジャンプの選手だ。

新見と仲がよくて、面白い子でいつも元気がよくて、陸上部のにぎやか担当だ。

ナニワのあきんどの異名を持つ、陸上部随一のアイデアマンでもある。


秋田出身だけど。


「いや、コールドスプレーをね…」


説明すると、知香ちゃんは、なあんだというような顔をした。


「そんなの、簡単じゃん」


「う?」


「沙耶のサイン付けて売りゃいいよ」


「うーん。そういうのは…」


「適当にオークションに出せば売れるって。生写真付けてさ」


知香ちゃんはそう言って手の平を差し出し、腰をふりふりと振って躍った。

ミキちゃんはじーっと考えていたけど、やがて、長い髪をかきあげて言った。


「そうね。じゃあ、佐々木さんに任せるわ」


「そんかわりあとでご飯奢ってね!」


「それで駄目だったら自腹で買い取りかしら」


泣きそうな顔をする加奈に肩をすくめてみせて、僕は逃げるようにその場を後にした。

まあ、そういうのはナニワのあきんどに任せておけば大丈夫だろう。


いやそんなことはどうでもいい。

やっと、やっと練習だ。

本当、こっちの練習が全然進まないのだ。


ストレッチをしていなかったけど、面倒なのでそのまま短距離チームに合流する。

ホームストレートの外のレーンで、スプリントチームが15人ほど、ハードルを両足でぴょんぴょん飛び越していた。

遊んでいるように見えるがわりとハードな練習だ。


これは別にハードルを越えるための練習ではない。

専門的にはプライオメトリクスといって、足が接地したとき、筋肉が反射的にパワーを出せるようにするトレーニングらしい。

何か、反発力を生かす?そんな感じ。

まあ、稲森監督の受け売りなので、僕も詳しくは知らない。

基本的に技術的な話はちんぷんかんぷんな人なのだ。


「彼女、大丈夫そう?」


参加するために列に並ぶと、新見沙耶がこっそり声をかけてきた。


入部2年目にして、新見に初めて声をかけられた。

ものすごくうれしかった。

穏やかな日差しが乱反射して、新見のオレンジ色のジャージを浮き上がらせていた。

まるで新見は太陽のようだった。


恋の、予感がした。


これをきっかけに、急接近する二人。

やってくる夏。

そして一気に大人の関係に…。


「ほれ、さっさといけよ」


妄想の途中で、いつの間に来ていたのか、後ろに並んでいた高柳さんに頭を小突かれる。

おかげで、返事をする前に、僕と新見の恋の物語は終わってしまった。


「ほら行けっての」


「はい」


超絶キャプテンの分際で偉そうに。

などと思いながら、両足を振り上げて数台のハードルを越えていく。

スプリントと同じく、リズムが大事だ。


何度も繰り返していると、4月でもかなりの汗が出てくる。

タオルで汗を拭いながら一通りこなしていると、加奈を連れてミキちゃんがやってきた。

ミキちゃんが怖いのか、加奈の表情は暗い。


「タイム取るから、スターターやってくれる?」


と、ミキちゃん。無表情だけどちょっと怖い。


「100m?」


「うん」


いきなりタイムを取ることもない気がするけど、スポーツテストの要領か。


「私、向こう行くから」


手動で十分なのだろう。

言い残して、ミキちゃんはストップウォッチを片手にゴール地点へと歩いていった。

0コメント

  • 1000 / 1000