002話 見知らぬでかい女の子


その女の子は、こちらに向かってドタドタと走ってきた。


しかし、振り上げる足は低く、そのわりに身体の上下動が大きく、蹴り足も明らかに弱い。

そして両腕は左右に振られ、推進力が分散されている。

新見と違ってブレまくりの最悪のフォームだ。


途中、何かにつまずいてべたんと転び、涙目で起き上がる。

何だかちょっと可愛いぞ。


「誰?」


ミキちゃんに聞かれて、僕は首をかしげた。

少なくとも心当たりはなかった。


「人違い?」


答えて、ミキちゃんを見ると、少しあきれた表情だった。


「名前呼んでるじゃない」


「あ、そっか…」


見知らぬ女の子は、息を切らしながら僕たちの前まで走ってきた。

180センチ以上ありそうな、ものすごく背の高い子だった。


(うお。デケー)


身長も高いが、肩幅が広くて筋肉質だ。

髪はふわふわだけどかなり短いから、後ろから見たら女の子には見えないかもしれない。

ジーンズに無地の白いTシャツで、いかにも貧乏大学生という風体だ。


「のぞむくん、久しぶり!」


彼女は満面の笑顔で言った。

僕は座ったまま彼女を見上げた。

顔もまったく見覚えがなかった。

こんな巨娘と面識があったら、顔はまったく覚えていなくても、ああ、あのメチャクチャでかい子ね、と覚えていそうなものだけど。


「いやーん。運命の再会ってやつ?盛り上がる?盛り上がるよね?」


彼女は一人で盛り上がって、両手をバタバタさせながらあはははと無邪気に笑った。

高柳さんのセリフじゃないが、そのままどこかへ飛んでいきそうだった。


何だかいたたまれなくなって、僕は頭をかきながらよいしょと立ち上がった。

立って並んでみると、彼女の大きさがよく分かる。

僕だって一応178センチあるのだが、少し見上げる感じだった。


「えと。ごめん、誰だっけ…?」


「うそーん。わかんない?」


顔じゅう、笑顔の女の子。悪い子ではなさそうだ。


「うん」


「ほら、ほら、何か面影ない?」


「うーん…?」


「えへへへ。じゃーん!」


じゃーんって言ってるけど、別に何も登場していない。

笑顔で自分を指差しているだけだ。


「実はあたし、カナっ!」


うれしそうな、本当にうれしそうな笑顔で彼女は名乗った。


「カナ」


「そっ!マエハラカナっ!」


うん。

名前を言われても、知らないものは知らないのだ。

 

仕方なしに黙り込んでいると、彼女はひとしきり笑ったあと、ふと真顔になって、背をかがめてひょいと僕の顔を覗き込んだ。


「やだ。本当に忘れてる?」


「うーん…」


忘れているのかどうかも判断がつかない。


「あたしだよ?この顔」


「えーと。覚えてない」


「ほら、おばさんから写真もらってきたの」


ポケットから無造作にとりだした写真を差し出される。

気になったのか、仏頂面のままチラチラっと覗き込むミキちゃんが可愛い。


「これ、これ、あたし!あたし、これ!これあたし!」


セピア色の写真の中を指差す。

家の前で撮られた写真。

古い写真だが、それは確かにうちの家の前で、小さいころの僕だ。

すると、横に映っているのがこの子というわけか。

面影があるような、ないような…。


2枚目も、似たような写真。

3枚目と4枚目は最近の僕の写真。


全中で優勝したときの写真もあって、間抜け顔で賞状と一緒に映っている。

もしタイムマシーンがあったら、オリンピックどころかお前はインハイにも出れないんだぞ

と言ってやりたい。

そのドヤ顔はやめろ、そのあとのインタビューで大きすぎる夢を語るな、と。


「陸上部にいるっていうから、それ見て探したの!」


「ははあ」


「覚えてない?」


「ごめん。全然覚えてない」


「結婚するって言ったじゃん!」


笑顔で言われて、僕は慌てて隣を見た。

それで気付いたんだけど、ミキちゃんの眉毛がピーンとつり上がっている。

機嫌が傾いてきた証拠だった。


(う…)


練習中、しかも我が陸上部伝統の春季トライアルの最中に、だ。

部外者が用もないのにトラックに来て騒いでいるこの状況は、まっとうな人間ならば出ていけと怒るところだろう。

短気なミキちゃんを怒らせるには十分すぎる。

僕は、多少慌てた。

いや、本当、ミキちゃん、怒るとものすごく怖いのだ。


「いや言ってない。言ってないから待って」


「言いましたーっ。キスもしたもんっ!」


「してない。してないし、待ってってば」


「しました!本網中央公園で!」


「待てって…、本網?」


「本網中央公園!」


「でっかい滑り台あった…?」


「そう!ちっちゃいころよく一緒に遊んでたでしょ?」


僕には、小さいころの記憶があまりない。

 

強烈に頭をぶつけたとか、トラウマになるような事件に巻き込まれたとか。

国家レベルの陰謀に巻き込まれて怪しげな薬を打たれたとか、野原でいきなり宇宙人にさらわれたとか。

そんなドラマチックな理由ではなくて、単に記憶力がないだけなのだけど、そう言われてみると仲のいい女の子がいた気がする。


名前も顔も覚えていないけど…。


「引っ越すことになって、のぞむくん大泣きしてたじゃん」


「そうだっけ?」


「早く帰ってきてねって、そしたら結婚しようねってキスしたじゃん」


笑顔のまま、彼女は体を揺らしながら力説したけど、もちろんさっぱり覚えてない。


「いや全然覚えてない。まあそれはいいんだ、それはいいんだけども」


「ちぇーっ、結婚しようって言ったのに。のぞむくん、付き合ってる人いるの?」


「いや、だから、話聞けって」


「よかった。じゃあ立候補!」


彼女はびしっと手を挙げた。

恐る恐る隣を見ると、ミキちゃんの眉毛は完全につり上がっていて、爆発一歩手前の状態だ

った。


ミキちゃんの機嫌は眉毛で分かる。

1年間、ミキちゃんの眉毛の角度を研究分析してきた僕の予測だと、これ以上、刺激したら爆発するのは間違いない。

ミキちゃんはとにかく、ニトログリセリンなんかよりはるかに危険なのだ。


「待て!待った!とにかく待て!スターップ!」


慌てて、僕はマエハラカナの話を遮った。

このまま放っておいたら、いつまでも際限なくしゃべっているに違いない。

ミキちゃんに怒鳴られる前に彼女をトラックから追い出そうと思ったのは、まずまず常識的な判断と言えよう。


「あの、悪いけど、練習中は部外者立ち入り禁止なんだ」


やんわりと言ったけど、彼女はまだ笑顔だった。


「あ、あたしね、マネージャー志望!」


上げっ放しの手をぐるぐると回す。


「マネージャー?」


ちらりとミキちゃんを見ると、眉毛の角度が少しなだらかになっていた。


「んと。一応聞いとくけどさ、うちの学生だよね」


聞くと、彼女はコクコクコクとうなずいた。


「そうだよ。人文学部1年生。入学ほやほや」


「ふうん。だそうだけど、いいのかな…?」


恐る恐る尋ねると、ミキちゃんはふうっとため息をついた。

面倒そうな人間を押し付けられたと思ったのだろう。もっともなことだ。


だけど、何も知らないカナは、ミキちゃんを見て、それから僕を見て笑った。


「あはは。ため息つかれちゃった!」


ああ、まずい。そう思ったけど遅かった。

 

再度、眉毛をつり上げて、ミキちゃんはじろっとカナを見た。

カナはその迫力に黙り込んで、半歩、下がった。

ミキちゃんの長い髪はすべて蛇でできていて、それがカマ首をもたげてカナに牙をむいた。


実はミキちゃんの正体はメデューサだったのだ!


なんてことはないけど、まるでそんなふうに見えた。


(ヒャーっ…)


巻き込まれないように、半歩下がる。


ミキちゃんは、明らかに大美人だ。

目鼻立ちがはっきりしていて、髪が長くてものすごくきれいだし、スタイルも申し分ない。

だから、もてそうなものだけど、実際はそうでもなかったりする。


何しろ、怖いのだ…。


「あなたが、ため息つかれるような登場の仕方するからでしょ?」


派手に、とげのある言い方。

お尻を触った男の股間をけり上げたとか、酔ってからんできた先輩に水をぶっかけたとか。

山倉教授をグーで殴ったとか。

女子プロレスラーとケンカして勝っただとか、実は極道の妻なのだとか。


どこからどこまでが本当なのかは分からないが、そんな噂がまことしやかにささやかれていて、とにかく、ミキちゃんにとってこの程度の物言いは日常茶飯事なのだった。


「練習中に、部外者に大騒ぎされたら迷惑って分からない?」


決して大きくはないが、鋭い声。

場の空気が一瞬で変わって、カナはピンと背筋を伸ばした。

能天気そうな彼女でも、ミキちゃんが危険なことは察知できたらしい。


「あ、ご、ごめ、ご、ごごご、ごめんなさい。久々なんでつい盛り上がっちゃって」


「立入禁止の看板も立ってるでしょ。読めなかった?」


「す、すいません」


「手、下ろしなさい」


「あ、ハイ」


素直に謝って返事をしたので、少し落ちついてきたらしい。

ミキちゃんの眉毛が平らになった。

警報解除。

ミキちゃんはじろじろとカナを見て、それからまた、彼女の顔を見上げた。

ミキちゃんもすらりと背が高いほうだけど、頭一つ以上、カナのほうが高い。


「背、高いわね。いくつ?」


ミキちゃんが聞くと、カナは直立不動で答えた。


「ひゃくは、な、きゅうです」


「え?」


「179です!」


一度つかえて、彼女は慌てて言い直した。

察するに、180センチとは言いたくないらしい。


だけどそれは明らかに嘘だ。

とにかく、バレー部やバスケ部に引っ張りだこになりそうな体躯なのだ。

僕の身長から計算して、おそらく185センチぐらいはありそうである。

5、6センチ近くも鯖を読むのはどうかと思うが、その辺の女心は分からなくもない。

ミキちゃんも、あえて何も言わなかった。


「なんでマネージャーやりたいわけ?」


「え、のぞむくんがいるので」


反射的に答えて、それから顔を真っ赤にして手を振った。


「あ、いえ、そうじゃなくて、その、知り合いも友達もいないし、知ってる人のいるクラブに入れたら楽しいかなってただもうそれだけで、別にそういう意味じゃないんですけど」


ミキちゃんはじろりと僕を見て、また彼女に視線を戻した。


「監督に話すからこっち来て」


「あ、はーい」


「返事は伸ばさなくていいから」


「は、はいっ」


背筋を伸ばしたまま、カナはミキちゃんのあとについていった。

並んで歩いていく二人の姿を見て、僕はふうっと息を吐いた。

超能力者じゃないけど、何となく、嫌な予感がした。

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