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096話 世界との差

それから、一人で黙々とアップを始める。レース1時間前になって、やっとクインシー・ロジャースの姿がサブトラックに現れた。外国人選手は全部で3人。1人は、僕と同じくらいの時間からちゃんと体を動かしていた。しかし、もう1人とロジャースは、この時間になってサブトラックに入ってきた。(むーん…)何となくバカにされているような気がして、コテンパンにやっつけてやりたくなった。逆にいうと、ベッカーは本気なのかもしれない。女子のレースは男子より1時間も遅いのに、僕が来たときにはもうアップを初めていた。観光気分のロジャースとは大違いだ。「星島さん」横目でロジャースを見ながらアップを続けていると、水沢さんが近づいてくる。 そろそろ出番らしい。スパイク袋を持って、傍らに詩織ちゃんを従えて準備万端というところだ。ちょっぴり上気した表情で、軽く首を傾ける。「星島さん?」「あ、はいはい」思わず、見とれてしまった。純粋に、美しいと思った。機能美とでもいうのだろうか。水沢さんの肉体と精神が合致して、大空に飛び上がる戦闘機のように見えた。全盛期の、という言い方は適切でないかもしれないが、調子のいいときの新見のようだ。「ちょっといいですか?」「ん。何?」「充電させてもらいたいんですけど」真顔だった。思わず水沢さんを見て、視線がばっちりぶつかって、ちらりと詩織ちゃんを見る。詩織ちゃんも真顔だったので、慌てて視線をさまよわせる。「えと、充電って、え、今?」「はい。時間がないので」「え、ここで?」「駄目ですか?」何も言わないのに、詩織ちゃんが気を利かせて、テクテクと歩いていった。何も言わずに、水沢さんが僕を見つめている。 周囲の視線もあったけど、思い切って手を伸ばして水沢さんを抱き寄せる。水沢さんの手が僕の背中を撫で、髪が僕の頬をくすぐった。僕の中にすっぽりおさまった身体は、アスリートとは思えぬほど華奢だった。(うー…)僕はもう完全に雑念にやられてしまった。雑念というか、若い男性にありがちな妄想だ。妄想というか、要するに、水沢さんといちゃいちゃしたいと…。だって、そんなの、こんな状況なんだから仕方ないじゃないですか!何か瞑想でもしているのか、1分間ぐらい、水沢さんは黙って僕の腕の中にいた。やがて顔を上げて、すっと離れて恥ずかしそうにほほ笑む。水沢さんも、恥ずかしいことは恥ずかしいらしい。「ありがとうございます。頑張れそうです」「うん。よかった」「じゃあ、行ってきます」「頑張って」小走りで、水沢さんは詩織ちゃんを追っていった。背中を見送っていると水沢さんの体温が徐々に薄れていって、僕はふと我に返った。変な妄想をしている場合じゃない。僕も、そろそろ出番なのだ。妄想は、帰ってからゆっくりしよう。そんなふうに思いながら、ホームストレートに戻る。ミキちゃんは、ぐいっと眉毛を持ち上げていた。何だか、ご機嫌斜めらしい。嫌な予感がいたします。非常にいたします…。「な、何かあったの?」聞いてみると、ミキちゃんはぷいっとそっぽを向いた。「別に」「そう…」「鼻の下伸ばしてないで、行くわよ」見られていたらしい。ちょっと、怖かった。涼やかな秋風の中、競技場に歩いていく。一応、ミキちゃんは付いてきてくれた。しかし、入り口の前まで来ると無言でどこかへ歩いていった。相当、ご機嫌斜めらしい。涼やかというより、背中に寒い風が吹いた。待機場所に係員がいて、一応、形だけの招集を受ける。いつの間にか全員そろっているようだった。ロジャース以下、海外招待選手が3名。日本人は、日本選手権で優勝した北海道ACの玉城豊。インカレ3連覇を達成した鳥羽化学の後藤俊介。今年のインカレ王者の本間秀二。あとは関カレチャンピオン、インカレ2位の辰川体育大学の浅田次郎もいる。 それで、僕、と。(うーん…)そうそうたるメンバーに、思わず武者震いをする。 建物の中から通路をとおってトラックに入って、まず驚いたのは観客の数だった。日本選手権のときも多くてびびったけど、今日はそれより入っていた。2万人くらい、いるかもしれない。(うー…)はっきり言って、びびってしまった。 だけど、レーンに出てスタブロをセットしている間に、そんなことは忘れてしまう。どうせ、観客は僕のことなんか見ていまい。メンバー的にも、最下位候補なのだ。開き直ってやるしかあるまい。「on your mark」選手紹介が終わって、早くもスタートだった。頭は空っぽ。機械的に位置に付く。「set」号砲が鳴って…、10秒ちょっと走ってゴール。見せ場はまるでなかったので、詳しく語るほどではないです。わりとリラックスして走れたと思うが、やはり実力の差はいかんともしがたい。さくっと勝ったのはクインシー・ロジャースで、流しながら10秒15。玉城豊が日本人トップの3位に入り、後藤俊介が4位。僕は何とかオーストラリアの選手に競り勝ったが、10秒43で5着だった。(うーん、さっぱりだ)今日は、駄目だった。反省点ばかりというか、心技体、どれもいいところがなかった。「駄目でしたね」本間君がジャージを着ながらつぶやく。本間君は、10秒47で6着。見てないけど、ちょっと硬くなってたのかな?「駄目だったねえ」「やっぱこのくらいのメンバーの中でも戦えるようにならないと」「そうだ。うん、そうだ」本間君の言葉は、大いに、思い当たるところがある。僕は大きくうなずいた。世界との差は、かなり大きい。しかしこのくらいのレースでも、食らいつけるようにならないといけない。低次安定していては、進化は見込めないのだ。「このくらいのメンバーなら勝ち負けにならないと、話にならないな」言っておいて、僕は首をひねった。 おかしいぞ。何だか、一緒に走ったほかの選手をバカにした感じになってしまった。「す、すいません。言葉のチョイスを間違えました…」謝って、笑い声の中、僕は逃げるようにそそくさとサブトラックへ戻ったのだった。

095話 接近遭遇

数週間後。日本人初の金メダリスト、戸川大先生の声かけで出場することになったチャレンジ陸上。その当日、また、やってしまった。いきなり部屋のチャイムが鳴って、その瞬間に嫌な予感がしてドキリとした。不思議なもので、時計を見なくても、寝坊したと分かった。時計を見ると、案の定、11時半。飛び起きてズボンをはいて玄関のドアを開けると、ミキちゃんが立っていた。眉毛が、すごい。角度がこう…。「ご、ご、ごめん!夕べなかなか寝付けなくて」「黙って。殴りたくなるから」ぎろりと睨まれる。「10分で準備して」「はい。あ、汚いけどよかったら上がって…」「黙って」そっとドアを閉める。怖かった…。急いで準備をして外に出ると、ミキちゃんの姿はなかった。鍵を閉めて階段を降りていくと、大通りのほうからスーパーの袋を持って歩いてくる。買い物に行っていたらしい。相変わらず、怖い顔だ。鎖につながれた近所の犬が、尻尾を丸めて小屋の中に逃げ込む。僕を見ていつも吠えるくせに…。「行くわよ」「はい…」歩きながら、大変ありがたいお説教をいただいた。僕の、普段のそういう日常生活のだらしなさがいけない。ギリギリの勝負の局面になったとき、実力が同じなら、だらしない人間のほうが負ける。自分に甘い人間は、勝負どころになると必ずその甘さが出るからだ。僕がもう一人いて、向こうが800mの適切な練習を1年続けてきたとしたらどうか。800mで勝負して勝てるか。「勝てない」「どうして?」「え、だって、ずっと練習してるから…」「そうでしょ。普段、8割の力で練習してるのに、本番だけ10割の力出せる?」「出せない」「普段、まあいいやまあいいやと思って適当にやってるのに、本番だけ都合よく、まあいいやを排除できるわけ?」泣きそうになった。もっともな言葉だったし、十分すぎるほど欠点は自覚していたけど、それをぐりぐりされるとやはり痛かったからだ。絹山駅まで歩いていって、2人で電車に乗り込む。すっかりしょげてしょぼんとしていると、ミキちゃんがスーパーの袋を差し出した。顔を上げて、おそるおそる横顔を見ると、まだ少し不機嫌そうだった。「食べなさい」「ハイ」受け取って、袋の中を覗き込み、僕は中身を取り出した。やっぱりというか、バナナとカロリーメイトだった。競技場に付いたのは、14時だった。ミキちゃんのおかげで、レースにはじゅうぶん間に合う時間だ。ちょうど、オープニングセレモニーが終わったところらしい。観客席で監督の姿を探して謝ったけど、あきれ顔でバカ野郎と言われただけだった。「軽くアップ行ってきます」逃げるようにスタンドを降りる。サブトラックの人影はまばらだった。短距離種目とフィールド種目がちょこちょこあるだけなので、参加人数自体は少ない。うちから出場するのは、僕と本間君と千晶さんと加奈、水沢さんの計5人。だが、誰もサブトラックにはいないようだった。「ドリンクは?」「あ、まだいい」軽く周回して、ミキちゃんにストレッチを手伝ってもらう。やっと機嫌が直ってきたようで、ほっとした。一応は国際レースなので、外人選手の姿も多い。トレッチをしながらクインシー・ロジャースらの姿を探したが、見つからなかった。その代わり、目の前を100mの女王が一人でぽつねんと歩いていた。10mほど先。クリスティアーネ・ベッカーだった。生まれて初めて目にする、世界的な有名人。僕は思わず興奮してしまった。(すげえ。本物だ)褐色の弾丸と呼ばれているクリスティアーネ・ベッカーだが、意外と背が低い。170センチそこそこだろう。 だけど、さすがに女王は違うというか、自信に満ちあふれている。自分の家の庭のように堂々と歩いていて、周囲の視線を意に介さない豪胆さがあった。ものすごくリラックスした表情。クキクキと首の関節をほぐしながら、ゆっくりと目の前を通り過ぎていく。まるで、ジャングルの中のトラのようだ。いや、見たことはないんだけども…。「あれよ、あれ」ミキちゃんに囁かれる。「ん?」「早めに試合場にきて環境や雰囲気に慣れておくだけでも、ぜんぜん違うでしょ」「うん。確かに」そのときだった。一瞬、通り過ぎるかに見えたベッカーが、僕のほうを見て立ちどまった。もしかして幼なじみだろうか、とはさすがに思わなかった。後ろを振り返ると、ミキちゃんが軽く手を挙げてほほ笑んでいた。「Miki?」「hi, Chris」「wow! long time no see!」「It sure has been」前に出ていって、外国式に抱き合ってあいさつをする。最初のほうは聞き取れていたんだけど、ベッカーが早口で、いかにも外国人らしい滑舌でまくし立て始めたので、何を言っているのかあまり分からなかった。ミキちゃんのほうの受け答えで、何となく会話の流れが分かるだけだった。しかしまあ、ミキちゃんの英語はものすごく流暢だ。本当、ミキちゃん、性格以外は完璧超人だ。感心しながら眺めていると、バックストレートのほうから本間君が歩いてきた。何気なく僕たちのほうに向かって歩いてきたんだけど、少し手前でベッカーに気付く。「うおっ…」びくっと驚く声が聞こえて、何となく面白かった。立ち止まり、目瞬きをして、慌てて大きく迂回して離れていく。何度も振り返っているけど、それはそうだ。とてもじゃないが、近寄る気にはなれないだろう。僕もただぼんやりと2人を見ているだけだった。3分ほど、話していただろうか。ベッカーは誰かに呼ばれて軽く振り向き、またこちらを見た。二言、三言、しゃべって白い歯を見せて笑ったけど、何と言ったのかは分からない。今日はちゃんと真面目に走ってよね、みたいなこと(多分)をミキちゃんが言う。ベッカーは笑顔で何かつぶやき、ミキちゃんと握手をして手を振って歩いていった。ベッカーの姿が遠ざかった後、僕はミキちゃんを見上げた。ミキちゃんは素知らぬ顔をして髪の毛を束ねていた。「何だって?」「何が?」オウム返しに聞き返されて、ちょっと困った。「いや…、最後?」「どんなレースでも全力は尽くすって」もっと長々としゃべっていたけど、ミキちゃんは簡潔にまとめた。社交辞令だろうか。手を抜いて走るとは言えないだろうから、建前かもしれない。はっきり言って、チャレンジ陸上に大会としての権威はない。一応は国際大会だが、優勝したからどうだというわけではない。外国の選手は観光がてら日本に来て、出場料をもらって適当に走って帰っていく。それだけのことなのかもしれない。プロ野球のオープン戦みたいなものだ。「知り合い?」一応、聞いてみると、ミキちゃんは素直にうなずいた。「うん」「どこで知り合ったの?」「昔ね」ミキちゃんはそれだけ答えて僕の背中を押した。あまり言いたくないのかもしれないので、それ以上、僕は言葉を重ねなかった。

094話 あなたが私にくれたもの

練習後、聡志と帰ろうと思っていると、いきなりTシャツの首もとを引っ張られた。「わ」驚いて振り向くと、知香ちゃんだった。鼻に人差し指を当て、それからちょいちょいと手招きをする。何だかよく分からないけど、付いていこうとした僕たちを、知香ちゃんは手で遮った。いや、遮られたのは聡志だけだった。「橋本君はいいから」「え。何で?」聡志が唇をとがらせると、知香ちゃんはバカにするかのような笑みを浮かべた。人差し指を、聡志の目の前でちっちっちと振ってみせる。「外国人は立入禁止デース」「ロシア人じゃねーよ!山梨人!」「だって、山梨は北方領土と交換したんでしょ?」「まだしてない!」「いいから、山梨県民に謝りなさい。売県奴」「バイケンド?」「その程度の日本語も分からないなんて、やっぱ外国人じゃん」「ちがーう!」どうでもいいやりとりの後、部室の裏のほうに連れていかれる。 大きな樹が立っていて、知香ちゃんはくいくいと僕に指し示した。樹の裏に、水沢さんがこっそり隠れていた。「うん?」「ごめんなさい。1年の子に見つかりたくなかったから」水沢さんは静かに言って首を傾げた。「な、何?」「いつもお世話になってるので、誕生日プレゼントあげようと思って」「え、いいのに」そう。実は今日、誕生日なのだ。杏子さんが卒業したし、今年は誰の誕生日会もやっていないので、今日もきっと何もイベントはないと思っていたんだけど、思わぬサプライズだった。「受け取ってもらえます?」「うん。すごいうれしい。ありがと」「好みが分からなかったんですけど」「開けていい?」「はい」小さな箱だった。丁寧に開けてみると、ライテックス製のスポーツウォッチが入っていた。その瞬間、僕はぴょんと3センチぐらい跳び上がった。「あ!」「え?」「これ欲しかったやつ!」黒いバンドに、ところどころ黄色いデザインがあつらえてある。灰色の四角い金属性の文字盤が、シンプルでかっこいい。何万円もするわけじゃないけど、ずっと買えないでいたやつだ。「本当ですか?」「本当本当。めっちゃうれしい」「ふふふ」水沢さんは目を細めて鮮やかに笑った。ものすごく二枚目だった。水沢さんだって学生なわけだし、特別裕福なわけじゃないだろう。それなのにこんな高いものをもらうなんて、何だか申し訳ない。つまりたぶん、これはあれだ。水沢さんにとって、僕がいわゆる特別な存在だからだ。 そう思ってじっと見つめてみたけど、水沢さんは目をそらさなかった。決して、そらそうとはしなかった。「あ、くろすけだ」だけど、例の黒猫を発見した途端に、水沢さんはてててっと僕の前から走っていった。いつもはもうちょっと見つめ合う時間が長いのに。もっと妄想していたかったのに…。「くろすけ、くろくろ、くろちゃーん」もうすっかり水沢さんに慣れていて、黒猫は目を細めてごろごろとのどを鳴らしている。もう黒猫には完敗なので、あきらめて、僕もしゃがみ込んで手を伸ばしてみた。人懐っこいのか、僕の手にも頭をこすりつけてきて、和解成立。いや、勝手にこっちが敵視していただけなんだけど。「かわいいね」「そうでしょう」水沢さんが顔を上げる。 端正な顔がものすごく近くて、思わず僕は息を止めた。じっと、見つめられる。美女の顔が目の前にあると、どうにも心臓に悪い…。「沙希せんぱーい!」遠く、どこからか女の子の声が聞こえてくる。何度かまばたきをして、水沢さんはふっと軽く息を吐いて二枚目な苦笑を浮かべた。「もう気付かれちゃいました」「もてるなあ」「慕ってもらえるのはうれしいんですけどね」「水沢さん、誕生日いつだっけ」「9月4日です」「9月…」もうとっくに過ぎているわけで、僕はちょっと焦った。「来年、来年、2年分お祝いするから」「いいですよ。気にしなくても」「いやいや。豪勢にとはいかなくても、お祝いをね。メモしとくから」携帯を取り出して、スケジュール帳のところにメモする。「よし。ばっちり」「ふふふ。これなら星島さんでも忘れないですね」「そうなんだよ。いつもすぐ忘れちゃうんだよなあ…」「来年は、世界陸上の開催中ですよ」「あ、そうだ。そうなんだ」「メダル、プレゼントしてくださいね」「それは難しいなあ…」話をしながら部室の前に行くと、水沢さんはあっという間に女の子たちに囲まれた。毎日のことだが、どこかにご飯行きませんかとか、私がつくってあげるとか。なんというか、なんというか…。そっとその場を離れて更衣室の中に入ると、聡志がぽつんと淋しそうに待っていた。とりあえず着がえて、僕はスポーツウォッチを左腕にはめて聡志に見せた。一瞬、聡志は分からなかったようだけど、すぐに気付いて羨ましそうな顔をした。「え、もらったの?」「うん。水沢さんから!」「いいなあ。いいなあ。何で星島ばっかり!変態の分際で!このっ、星島の分際で!」「モテるんだから仕方ないだろ」「それにしては彼女できないな」「そうですな…」その後、聡志からご飯をごちそうしてもらった。アパートに帰ってしばらくすると、杏子さんから誕生日プレゼントのTシャツとお祝いのメールとちょっとしたセクシーショットが届いた。まずまずな、誕生日だった。

093話 嫉妬だとうれしいのか?

何だかうきうきして、スキップしながら部室へ行って着替える。聡志も織田君もまだ来ていない。今日は、おべっか金子とベースマン寺崎のコンビとアップだ。しばらく待っていると、やがてぞろぞろ集まってくる。いつものように短距離全体で練習。ここ数日で急に涼しくなってきていたけど、それでもやっぱり暑くて汗が出た。「あっ」そして、半年ぶりに。全体練習に参加していた新見だったが、バウンディングの最中にバランスを崩した。僕もそれに参加していて、たまたま近くにいたので、とっさにレーンに出て手を伸ばした。だけど、いくら何でも運動エネルギーのある成人女性を片手で支えられるわけもない。こう、新見を抱きとめるような格好になってしまった。それで、そのつもりじゃなかったんだけど、胸を触ってしまった。斜め後ろからだったので。こう、手を伸ばしたら、もにゅっと。そんなつもりじゃなかったんだけど。まあ、もにゅっていうほど、新見は大きくないけど。「ピョッ」隣のレーンにいた真帆ちゃんがびっくりして、大騒ぎをする。「い、いきなり沙耶さんに抱きついた!」「ち、違うっ」「後ろからおっぱい揉んだっ!」「違う違う、偶然、偶然」「けだものっ!やっぱりけだものだっ!」弁解しようとしたけど。いや弁解したつもりだったんだけど。真帆ちゃんがピーチクパーチクさえずって、全員に軽蔑の眼差しを向けられてしまった「なんだ、また星島か!」「この変態っ!」「けだものっ!」「セクハラっ!」「おれと代われっ!」「死ねばいいのにっ!」「女の敵っ!」「男の敵っ!」ひどい言われようだが、とりあえず新見は分かってくれるはず。そう思って新見に視線を向けると、当の新見がじとっと見ていた。「あーあ。もうお嫁に行けないかも…」「えーっ…!」「あたし、思い切って、訴えることにします!」わーっとみんなから拍手が起こる。歓声に応えて、新見は笑顔で手を振った。 なんだ、この茶番劇は。「はいはい、もう変態でも犯罪者でもいいから、散って散って」事態の収拾を図って練習を再開する。新見はまだリハビリ中。全力で走るのはもちろん、飛んだり跳ねたりするのは厳しいようだ。みんなの邪魔になったら申し訳ないと思ったのか、新見はすぐにその場を離れた。やっぱり半年ではまだ無理なのだ。芝生のほうに歩いていって腰を下ろし、新見は大きく息を吐いた。本当に、申し訳ない。まるまる1シーズンを棒に振って、この状態では来シーズンもどうなるか分からない。あの事故は僕のせいではないと新見は言ったけど、それでも申し訳なく思う…。「変態星島あ」その後、スピード練習までこなすと、肩を落とした聡志に腕を引っ張られた。「うん?」「セットスプリントだって」「え、お、おれも?」「ミキちゃんが…」村上美樹コーチの指示らしい。見ると、眉毛を持ち上げている。どうしたんだろう。さっきまで、けっこう仲がよかった感じなんだけど…。に、新見に抱きついたとか、誤解なんですけど…。「早くしなさい」「ハイ」命令口調で言われて、僕は素直に頭を下げた。聡志は本格的に、200mや400mの練習に移行している。どちらかというと筋持久力、スピード持久力のトレーニングが増えてきている感じだ。僕はそんなには多くないんだけど、ときどきはそういう練習もメニューに組み込まれる。しかし、この練習がまたつらいのだ。200mを全力で走り、1分休憩して100mを走る。これが1セットで、間に5分ずつ休めるけど、大体5セットから10セットはやる。そして仕上げに300mを何本か走るのだ。「うーん。やるか…」「やるぞ」やった。終わった。倒れた。僕は水分を補給し、タオルで汗を拭きつつ休憩。聡志はちょっとだけ休憩して、トボトボと400mの練習へ。400mの選手じゃなくてよかったと心から思った。

092話 秋の訪れと彼女の変化

4Kの優勝に僕が鮮やかに貢献したインカレも無事に終わり。夏の暑さも急激にどこかへ消えていくと、絹山大学陸上部には小さな変化が起こった。毎年のことだが、一部を除き4年生が引退し、トラックの上から姿を消してしまったのだ。一部の選手は練習に励んでいるが、多くの4年生が一気にいなくなって閑散としている。もちろん、国体もあるしシーズンはもうちょっと続く。しかし、大学生にとって、インカレというのは一つの区切りになることが多い。この時期から新入生が入ってくるまで、毎年、少し淋しい感じがする。(うん?)そんな金曜の午後、僕は学生協の階段の下で見覚えのある光景に出会った。つまり、階段の下りたところで、ミキちゃんがぺたんと座り込んでいたのだった。この時期にしては珍しく風が強かったから、例によって足首を捻ってしまったのかも。長い髪の毛が風で揺れていて、ミキちゃんはそれを結んでいるところだった。「大丈夫?」小走りで階段を下りていって声をかける。ミキちゃんは半分だけ振り向いて、また前を向いた。「大丈夫」「立てる?」「平気」口ではそういうけど、多分、平気ではない。もしそうだったら、ミキちゃんはさっさと立ち上がって歩き出す人だ。ちょっとだけ考えて、僕はきょろきょろと周囲を見回した。誰もいないのを確認すると、ミキちゃんの前に移動して腰を下ろす。「トラックまで」前は突き飛ばされたけど、今度は反応がなかった。首だけ捻ってミキちゃんを見ると、少し眉毛が持ち上がっている。黙って待っていようと思ったけど、さすがにちょっと恥ずかしくなってきて付け加えた。「トレーニングの、一貫として!」そんなふうに、アピールしたのがよかったのかもしれない。少しだけ待っていると、そっと、ミキちゃんの手が僕の背中に触れたのが分かった。何だかその部分だけ、熱をもってものすごく温かくなった気がした。「星島君、意外と背中、筋肉付いてるわね」ミキちゃんが呟いて、思わず笑ってしまう。まったくもって、陸上バカだ。「こういうときってさ、普通、背中広いわねって言うもんじゃない?」「広いのは知ってたけど。もう少し肩の周りが…」さわさわと撫でられる。 なんだかなあと思っていたのだが、それは照れ隠しだったらしい。しばらくして、ミキちゃんは遠慮がちに僕の肩にしがみついてきた。長い髪が僕の背中を覆って、温かかった。「よいしょ」ミキちゃんの足をつかんで一気に立ち上がる。少し体勢を整えると、僕は坂道を歩き出した。最近はやっていないけど、昔はよくこうやって階段を上っていたりしたものだ。「軽いね」軽い。そして、ふんわり柔らかくて温かい。思わず、鼻が伸びてしまう。 「ミキちゃん、スタイルいいもんなあ」僕も照れてしまって、そんな軽口を叩いた。「こう、しゅっとしてるもんね」「そうでもないけど。私もちょっと運動しないと…」「ミキちゃんは、陸上以外だと何が好きなの?」「見るのは何でも好きだけど。サッカーとか」「サッカーかあ。横浜はクラブあるもんね」「試合は、見に行ったことないけどね」絶好のボールが、目の前に転がってきた。どフリーだ。ゴールは目の前。打て、打て、打つしかないでしょ!「じゃあ、今度見に行ってみる…?」 思い切って、シュートしてみた。ミキちゃんはちょっと黙って、それから、僕の肩に置いた手をぎゅっと握った。「まあ、うん、機会があったらね」微妙なリアクション。 表情も見えないし、どんな反応なのかよく分からない。これ、得点?それともノーゴール?よく分からなかったが、言葉を重ねる前に、トラックに到着してしまった。(ふう…)トラックへの階段を下りると、さすがに疲れて息が切れる。トラックの上の人影はまばらだった。みんな、トレーニングか何かだと思っているのだろうか。何人かが僕たちを見たけど、あまり関心を持っていないようだった。「お」僕たちに気付いて、詩織ちゃんが救急箱を片手にまっしぐらにかけてくる。 そんなに速くない。でも、足は速くても気付いて無視している人間の数倍は価値があるというものだ。何でもなかったらなかったで笑い話で終わるだけの話で、なかなかこうはいかない。ミキちゃんの教育の賜だろうか。「何かあったんですか?」「大丈夫」ミキちゃんが強がりを言ったので、僕は訂正した。「また足捻ったみたい」「やっぱり。見せてください」ミキちゃんを芝生の上に下ろすと、詩織ちゃんはシップを張ってテーピングをした。いつの間にか、テーピングの腕前がかなり上達している。「村上さん、クセになってるんだから気を付けてくださいね」「うん。ありがとう」「はい、星島さんにはごほうび」「わーい」黒砂糖飴。これがまた、無性に甘いのだ。忙しそうに詩織ちゃんが戻っていって、ミキちゃんはゆっくり立ち上がった。手を伸ばしたら黙ってつかんでくれたのが、ちょっとうれしかった。「ありがとう」「うん。どういたしまして」怒られないうちに、ぱっと手を離す。さすがに、このへんはだいぶ学習しました。「油断してると、ときどきなるのよね」珍しく、ミキちゃんが自分のことを語った。なんか、言い訳がましくてちょっと可愛い。「足首はクセになるっていうよね」「もうなってるみたい。たぶんずっとこうだと思う」「そっか。痛い?」「大丈夫。星島君も気をつけてね。大事な体なんだから」「うん」なんか、前よりだいぶ仲良くなっている気がする。ミキちゃんと、ちょっとだけ陸上以外の話をした。 それに、おんぶだけど、密着して体に触った。思わず、僕の鼻の下は、1マイルくらいに伸びてしまったのだった。

091話 戸川正晴

ミキちゃんと肩を並べて待機場所まで戻ると、シートの横に稲森監督が立っていた。誰か、初老の男性と話し込んでいる。髪の毛は真っ白。70歳は超えていそうだが、ピンと背筋が伸びていてスーツがびしっと決まっている。なかなかにダンディーなおじいちゃんだ。「おう。星島君だな、君が」声をかけられて、とりあえず軽く会釈をする。首からコーチのパスを下げているので、どこかの監督とかだろう。すると、突然横からにゅうっと手が伸びてきて、頭をぐいっと下げさせられた。ミキちゃんの手だった。何だかよく分からないけど、目上の人にはちゃんとあいさつ?「チャレンジ陸上の枠が空いたそうなんだが、お前、出てみるか」稲森監督がひげを触りながら僕を見た。横浜国際チャレンジ陸上といえば、世界大会のメダリストが多数参加する国際大会だ。もちろん、一度たりとも出たことなどない。「え、マジですか」「柏木が欠場するから、その代わりだが」「出ます出ます。出れるんなら出ます」「いいですか?」稲森監督がおじいちゃんに言って、おじいちゃんは笑顔でこくりとうなずいた。もしかすると、大会役員の人なのかもしれない。陸連のお偉いさんとか?「星島君、頼みましたよ」「はあ」「よし。じゃあ稲森君、ちょっと来てもらえるかな」おじいちゃんが軽く手を振って、稲森監督とどこかへ歩いていく。その背中が小さくなると、ミキちゃんにぎゅっと腕をつねられた。驚いて横を見ると、眉毛が持ち上がっていた。「え。何?」「何、じゃないわよ。誰だと思ってるの」「陸連のお偉いさん?」「戸川先生よ!戸川正晴先生!」「え。戸川…、え、わーっ!」「えっ、戸川先生っ!?」僕だけじゃなくて、シートに座っていた金子君と織田君も驚いたようだった。戸川正晴。絹山大学のOBで、現役引退後、絹山大学の監督に就任して短距離王国の基礎を築き、その後はライテックスを日本トップの実業団にした人物である。 男子走り幅跳びの五輪金メダリスト。柔道とか水泳とか他競技も含めて、オリンピックにおける日本人最初の金メダリストだ。陸上競技の世界記録を樹立したことのある唯一の日本人でもあり、戸川の前に戸川なし、戸川の後に戸川なし、というのはよく言われるセリフだ。世界記録ですよ、世界記録!「何が、出れるんなら出ます、よ」ミキちゃんが僕を睨む。そう言われると、恥ずかしくて顔から火が出そうになる。「だだだだって、知らなかったんだもん」「まったく。こっちまで恥ずかしかったわ」「ごめんなさい…」若いころの戸川先生の顔なら、すぐに分かったんだけど。何しろ今では、すっかりおじいちゃんだし…。「でも、やったじゃないすか。チャレンジ陸上」織田君が言って、僕はこくんとうなずいた。何だかよく分からないけど、出れるらしい。「いつだっけ?」呆れ顔のミキちゃんに聞くと、変わりに織田君が答えた。「再来週っすよ」「すぐじゃん。誰来るの?」「誰ですっけ。ロジャース来るのは知ってたんすけど」クインシー・ロジャースは、世界選手権銅メダリストだ。いつもビデオで走り方を参考にしているだけに、何となく親近感を感じる。ナンバーワンではないが、もちろん、世界的なトップアスリートといえよう。「女子はクリスティアーネ・ベッカーですかね」「おお。女子は本物のナンバーワンか」「まあ、本気で走ってくれるか怪しいっすけど」「サインもらおうっと」だらだらしゃべっていると、くいくいとミキちゃんにひじを引っ張られる。「ん?」「ご飯」「あ、うん。そうだった」「何か用意してるの?」「ううん」そういえば、詩織ちゃんからお握りを1個もらったんだった。そう言おうと思ったけど、ミキちゃんがしゃがんでバッグの中をごそごそ。何だろう。何かつくってきてくれたのかな…?「はい。ごちそう」カロリーメイトと、バナナ2本だった。 やはりそう美味しい話はないものだなあ、僕はカロリーメイトをかじりながら思った。いや、美味しかったけどね。

第90話 世界記録より早く

 競技場を出たところに、ミキちゃんがスポーツドリンクを手に待っていた。 どんな顔をすればいいのか、何を話せばいいのか分からなかった。 ミキちゃんは何も言わずにスポーツドリンクを差し出して、僕はそれを受け取って水分を補給した。 わずかな水分が唇からこぼれた。「悔しいよ」 それが、僕の正直な第一声だった。「負けるのなんて慣れてるはずなのに、すごい悔しい」 少し、ミキちゃんは唇を持ち上げた。 だけど何も言わず、半歩、僕に遅れて歩き出した。 隣を歩きながら、僕はもう一口、スポーツドリンクを飲んだ。 ミキちゃんはずっと黙ったままサブトラックまで付いてきた。 風がなくて、体感温度はかなり高かった。 ミキちゃんは、黙ったまま、僕の様子をじっと見ていた。(どうしたんだろ) 疑問に思いながら、軽くダウンをしてサブトラックを後にする。 ミキちゃんは一言もしゃべらなくて、もしかして怒ってるのかなと思ったけど、表情を見る限りそうではないようだった。「何で黙ってるの?」 恐る恐る聞いてみると、ミキちゃんはちらりと僕を見て、それから口の奥で何かモゴモゴと言った。「ん?」「だ、だから、何て言ったらいいか分からないから」「ふうん」 ミキちゃんは葛藤に陥ってしまったのかもしれない。 褒めるべきか叱咤すべきか、それとも慰めるべきか元気付けるべきか…。 何というか、いかにも真面目なミキちゃんらしい。 わざとらしく、ごほんとせき払いをする。「とにかく、あとは4K、気持ち切り替えて」「あ、うん。分かってる」「アンカー、石塚さんになったから」「え?ああ、高柳さんはクビだっけ」「うん。星島君のところは関係ないけど」「バトンパス大丈夫かな。大丈夫か。人のことより自分のことだってね」 ミキちゃんに指摘される前に、自分で訂正する。 それがおかしかったのか、ミキちゃんは柔らかくほほ笑んだ。 その笑顔は世界記録よりも素早く僕の目に焼き付いて、どんな言葉よりも鮮やかに心の中の負を払ってくれたのだった。「とりあえず、反省は後ね」「うん。ミキちゃん、ありがとう」 まっすぐに礼を言うと、少し照れて歩き出す。 長い髪に、真夏の日差しがすけていてきれいだった。「決勝は、何点だった?」 聞いてみると、ミキちゃんはちょっとだけ僕のほうを見て、太陽に手をかざした。「90点」「お。いい点!」「前半は85点、後半は75点」 足して、ええと、160点。「あれ、平均すると80点だけど」「10点は、よく頑張ったから、敢闘賞」「そっか…」「うまく次につなげられたら、満点ね」 そう言って、ミキちゃんはまぶしそうに僕を見た。 出会ってから初めて見る、優しい表情だった。

089話 男子100m決勝

観戦モードに入って、自分のレースがあることを忘れてしまってはいけない。ほんのちょっとだけ盛り上がった女子100mに続いて、いよいよ、男子100mだ。僕は大きく呼吸をして自分を落ち着かせた。係員の案内でトラックに出る。王者の5レーン。歩いていって、まず、スパイクをはく。丁寧に紐を結び、立ち上がり、風を感じる。ほぼ、無風だ。悪くない。どこからか聞こえてくるフィールド種目の手拍手を聞きながら、レーンに出る。スターティングブロックを合わせ、軽くぽんと飛び出る。ジャージを脱いで、ランニングシューズと一緒にかごに入れると準備完了だ。スタッフのIDを付けた女の子たちが、かごを運んでいく。少し、競技場が落ち着くのを待ってから、男子100mの選手紹介。腰ナンバーを付けると同時に僕の名前が呼ばれ、小さく手を挙げて応える。本間秀二が3レーン、僕が5レーン、浅田次郎が6レーンだ。選手紹介が終わると、もう後戻りはできない。 さあ。いよいよ。いよいよ決勝だ。日本一の大学生が決まるのだ。(よし)鼓動が速くなる。体内の血液が沸騰する。視界が急速に狭くなり、まるで夢幻の中にいるように感じられる。手足の痺れを解消するために、無意味に身体を動かしパチパチと手の平で叩く。五感が散漫になって、意識が空気をとがらせていく。無意識のうちに鼓動が高鳴り、身体の隅々に酸素を供給してはさらに速度をあげていく。「on your mark」スターターが発声し、8人の選手がスタートラインに歩み寄る。1つ、ふっと、息を吐く。はるか前方を見据えて、大きく深呼吸をする。のめるように身体を前に倒すと指先でトラックを触る。茶色の全天候型タータントラックに白のライン。ざらりとした感触が指先に残り、直ぐに消えて静かに意識と同化していく。一度、手を放してゴール地点を見る。もう1つ、息を吐いて、ラインに手をそえる。軽く肩を動かして、すべて、戦闘準備完了。ほんのわずかなざわめきを残して競技場が静寂に包まれ、8人のアスリートが固唾を飲む。 頭の中は完全に真っ白。 全感覚が聴力に集められる。「set」乾いた電子音の号砲が鳴り、8人のスプリンターは弾丸のようにはじけ飛んだ。 ほぼ、横一線のスタートだった。低い体勢から力強く大地を蹴りあげる。小さく速く力強く、加速性能を重視したスプリントで一気にスピードをあげていく。 ギアは、ローからセカンド。そして爆ぜるようにぶわっとドライブフェイズへ。 前傾姿勢だった身体が徐々に垂直になっていく。軸をつくり、身体の真下に着地する。反発力を生かし、跳ねるように再び猛スピードで脚を振り上げる。両足の踵が目まぐるしく円運動を繰り返す。力強くタータンを蹴り上げて、重心を前へ前へと進めていく。(…っ!)空間が無になっていく。時間が無限大になっていく。音が聞こえているのか、息をしているのかも分からない。逆巻く風が前方から流星雨のように降り注ぎ、頬をかすめては遥か後方へと消えていく。運動エネルギーが連鎖的に爆発して、体内に乳酸を残し発散していく。「5レーンの…、…が…」場内実況が何かしゃべっているが、ほとんど聞き取れない。たぶん、僕が先頭だ。恐るべきスピードで、しかしゆっくりとゴールラインが近づいてくる。時間が、あたかも時間としての機能を無視したかのようなスローモーション。もう少しだ、もう少し…。(いける、このまま)だが、そのときすっと内側に選手の影が見えた。ぎくりとした瞬間、反対側の選手も前に出た。ほとんど差はない。しかしもう距離がない。息苦しさと筋肉の限界とを覚えながら、スプリントはフィニッシュの体勢に入った。(…っ!)感覚的には、3着だった。外側、2着に入ったのがおそらく浅田次郎。そして、堂々10秒23の好タイムで優勝したのは、221番、本間秀二だった。(…っ)スピードを緩めて、やがて運動を停止する。大きく、呼吸をしてゴール地点に戻る。少し息が乱れて僕はひざに手を付いた。何人かと握手をして、しばらく待っていると電光掲示板にレース結果が現れた。1着が本間君で、正式記録が10秒22に訂正されている。2着が浅田次郎で10秒288、僕はやはり3着で10秒33だった。 優勝してもおかしくないタイムだが…。「おつかれっす」「あ、お疲れ。おめでとう」本間君と言葉を交わす。スパイクを脱ぎ、ジャージを着ると、インタビューを受ける本間君を残してトラックの外に出る。空気が、乾いていた。何となく、音が遠くに聞こえていた。

088話 女子100m決勝

東京体育館のトラックは、緑のタータンが鮮やかだ。 400mハードルの予選があるので、たくさんの選手がアップしていてやや混雑している。それを眺めながら、僕は一人、隅っこのほうでストレッチをした。やがて、800mの選手たちが順々に出ていって、少し空いてくる。僕は邪魔にならないように外側を軽く走り、それから歩きながら休憩。途中で加奈が来てアップを始めたけど、本間君の姿は見えなかった。コンコースのほうでアップしているのかもしれない。「うー、駄目だ、緊張してきた」例によって、アップの段階から加奈の表情が硬い。「もうちょっとリラックスしろよ」「言われて、できるなら、楽じゃない。字余り」「それもそうだけど」字は余ってないけど、まあスルーだね。しばらくやっていると、詩織ちゃんが飲み物を持ってきてくれた。加奈の緊張が移ったわけじゃないけど、こっちもだんだん緊張してくる。この感覚は、別に嫌いじゃない。多少の緊張感がないと力は出せないし、どちらかと言えば心地よい緊張感だ。よし、やったるぞという気分に近いかもしれない。緊張というより、集中というべきか。「どう?」ミキちゃんが様子を見にきて、僕はただうなずいた。強めにダッシュをして、軽いドリルをする。時間をたっぷりかけて、徐々に体を温めていく感じだ。ものすごく長くも感じられるし、短くも感じられる。 ぎゅっと凝縮された、不可思議な時間。誰にも侵害されない、僕だけの時間だ。スポーツドリンクをあおると、ぽたりと汗がこぼれる。身体はもう完全に準備を整えたようだった。もちろん、心もだ。「時間?」時計を見ずとも、分かった。ミキちゃんが腕時計を見て、それから軽くうなずいた。「そうね」「いこうか」加奈が出ていってから数分後、僕もサブトラックを後にした。そばに付いてくれているミキちゃんが、ものすごく力強かった。一度、待機場所に戻ってバッグを背負う。とにかく体を冷やさないように、こまめに体を動かす。本間君がいたけど、軽く目でうなずきあっただけだった。「頑張って」「うん」ミキちゃん送り出されて招集所へ。本間君と2人、定刻どおり、きちんと招集を受けて腰ナンバーをもらう。女子が先にトラックに出ていって、僕はモニターを見た。土曜日ということもあって、昨日よりもスタンドが埋まっているようだった。100mは注目される種目だからなおさらだ。ゆっくり、呼吸を整えながら紫のスパイクのピンを締め直す。女子の選手が場内にアナウンスされていた。加奈が4レーンに入っている。日本一の大学生を決めるレース加奈がいることが、何だか場違いに思えた。相変わらず、緊張してガチガチになっている。予選、準決勝もそうだったが、これで11秒台で走れるのが逆にすごい。「何かこう、物足りないよなあ」と、浅田次郎が何か偉そうに語る。「あれだ、失格になったちょんまげだろ。それとあのでかい変なやつ。やっぱ何かこう、絹山は新見がいないと締まんないよな。浅海杏子も卒業したし、黄金時代は終わったなって感じかな」前向きに解釈しよう。ほかの選手には悪いけど、新見がいてくれないとちょっと物足りないね、と。だから早く復帰してくれないかなあ、ということだ。きっとそう。そうだよね…。「男子もさ——」「おい」まだ何か浅田が言いかけたところで、本間君が低い声で言ってのけた。「少し、黙れ」ジロリと浅田が本間君を睨んだ。だけど周囲の目もあるので、それ以上の騒動には発展しなかった。何か、後輩に言わせちゃって申し訳ないです…。そして女子100mの決勝が始まった。「on your mark」その瞬間だけは、僕らは自分たちの準備の手をとめ、モニターに注目する。その時間だけは、彼女たちに独占権が与えられている。今のところはまだ、ほぼ平等に。「set」号砲と同時に、8人がスターティングブロックをガシャンと蹴って飛び出した。うわあっと各校の応援が始まり、一気にスタジアムは歓声に包まれる。加奈は例によってわちゃっとスタートしたが、ほかの選手もいいスタートではなかった。ときどきある、100mなのにそろりとしたスタート。そこから、全員がだだだだだっとスピードを上げていく。新見沙耶がいない。山田千晶もいない。おそらく全員が思ったのだろう、大学チャンピオンになるチャンスだと。とにかく、総じて、硬かった。ごちゃっと固まったまま、序盤から中盤へと突入していく。混戦もいいところで、スタジアムが盛り上がる。誰一人、抜け出すことなく、6人ぐらいが一団となって後半に突入していった。(あら、あら、あらら…)加奈はもうあごが上がっているような感じで、ガチガチで、ギクシャクした走りだった。先頭集団から数名が失速し、3名ぐらいの争いになる。しかし、最後の最後、5mくらいのところで加奈がちょっとだけ出た。大きな肉体だけでアドバンテージを奪い、2位の選手を10センチほど退けてゴールする。「おーっ…」見ているほうも、微妙な反応。向かい風0.6m、速報タイムで11秒95と平凡で、そりゃ、反応も微妙になる。それみたことかという浅田次郎の顔にはイラっとしたけど、まあ、ぐうの音も出ない。しかしともかく、加奈が公式戦初優勝。一応、全国にちょびっとだけ名前を轟かせたのだった。

087話 決戦の日

翌日、僕は朝5時に目を覚ました。何となく目を覚ましてしまって、しばらく布団の中でごろごろする。しかし、どうにも目がさえて、起きだしてしまった。ご飯を食べよう。自分でスパゲティを茹でてみる。レトルトのソースを温めて、麺とからめて食べる。なぜか、ミキちゃんがつくったのとは雲泥の差だ。ミキちゃんも、レトルトのソース使ってるのに。何が違うんだろう…。あれこれ準備をして絹山駅へ。今日も天気は快晴だ。きっといいレースになるだろう。「おはよーっす」「うーっす」既に待機していたマイクロバスに乗り込む。点呼して、全員いるのを確認して、出発。国立競技場に到着したのは8時20分だった。渋滞で到着が遅れたので、競技時間が早い選手は慌ただしくアップに出かけていく。僕はまだまだ時間があるので、待機場所に荷物を置いて、バッグを枕に横になった。男子100mの決勝は、15時10分。逆算して、昼過ぎから動き始めればいいだろう。10時ごろになったら、軽く何か食べておいたほうがいいかもしれない。でも、眠い…。「また寝てるし」途中で、誰か男子に笑われた気がする。2時間くらい、うとうとしてから目を覚ました。欠伸をしながら体を起こし、誰かがかけてくれた毛布をたたんで置いておく。みんなスタンドに行ったのか、長距離の女の子が数名、おしゃべりをしているだけだった。「うぬ」大きく伸びをして、それから立ち上がる。スポーツドリンクを買ってスタンドに行くと、女子200mの予選が行われていた。2組の選手の名前がアナウンスされていたから、ちょうど始まったばかりのようだ。今ではすっかり見慣れた、米ナスマンのTシャツを探す。最近は信者をどんどん増やしているらしい。そのうち日本全国に広まったらどうしよう。「着いてそうそう寝てんじゃねえよ!」みんなが集まっているところに行くと、米ナスマンTシャツ赤を着た聡志に怒られた。そんなこと言ったって、どうも眠いんだから仕方がないのだ。生理現象だ。ちょっと違うか…。「そろそろ佳境だぞ」聡志が言って、僕は大きくあくびをした。「課長って?」「そう。苦節半年、やっとの思いで係長から昇進して…、ってその課長じゃねえよ!」「何それ超下手くそ」「うるせっ!」ピットを見ると、水沢さんの姿が見えた。ゆっくりと助走を切って、リズミカルに踏み切ると高く飛翔してぱさりと舞い下りる。ふくらはぎに当たったのかバーがかすかに揺れ、カランと音を立てて落ちてしまった。 観客がため息をついて、水沢さんは少し首をかしげて、それからスタンドに手を振る。「あれ、終わり?」「うん」まだ、ピット上には3人の選手が残っている。そのうちもう一人も同じ高さで脱落したけど、試技回数で水沢さんは4位だった。さすがに、そう簡単に、トップの座はうかがえないようだった。前のほうで、藤崎小春率いるファンクラブの面々が拍手を送っている。本当、毎度毎度、ありがたい。試合のたびに脚を運んでいたら、お金だってだいぶかかるだろうに。「あれ。もう帰るのか…」聡志がつぶやく。ファンクラブの面々は、まだハイジャンプが続いているのにあっさり撤収。あれでもうちょっと、競技にのめりこんでくれるとうれしいんですけどね…。彼女たちの代わりに、ハイジャンプを最後まで見届ける。男女の200mが終わったところで、僕は待機場所に戻った。ちょんまげ真帆ちゃんとマネージャー詩織ちゃんが、お弁当を食べていた。それを横目で眺めながら、少し黒くなった昨日の残りのバナナをもぐもぐと食べる。今朝、荷物の奥のほうに転がっていたのを発見したのだが、それで僕のお昼ご飯は終了。何か寂しい。10時ごろ何か食べる予定だったのに、眠ってしまうからだ。みんなでわいわいご飯食べたかった…。「何か、切ないなあ」よほど、しょんぼり見えたらしい。詩織ちゃんが僕を見て笑った。「おにぎり食べます?」「あー、うん、いいや」「じゃあ、決勝残ったごほうび。あとで食べてください」「あ。あんがと」「星島さんガンバ!」「せいぜい頑張って!」真帆ちゃんの言葉のチョイスが若干気になるが、ともかく女の子の声援は力になる。鼻息荒く、僕は立ち上がってのしのしとサブトラックに向かった。

086話 どこに吊るのか

準決勝は、男女とも波乱の展開になった。まず、真帆ちゃんがフライングで失格。2組では千晶さんが3着に沈んで、プラスでぎりぎり拾われる結果となった。走っている途中、太ももが痙攣したらしい。少し張りがあるようで、非常に残念だが、大事をとって決勝は欠場するようだ。 加奈は、例によってガチガチだったけど、11秒93で1位通過。一番危なっかしい人間が、結果としては最も着実に決勝に進出したのがおかしな感じだ。「おい」「はい」「吊るすぞ」そして、待機場所で高柳さんが正座させられ、荒川さんに説教されている。フライングしたとかレースで負けたとか、そういうことではない。招集時間を10分間違えて、遅れたために失格になったのだ。姿が見えないのでみんなで一生懸命捜したのだが見つからなかった。トイレにいたらしい。全員が出られるならともかく、出たくても出られない人がいっぱいいる。部の代表。みんなの代表として戦っているという意識が薄いのだ。荒川さんの怒りももっともである。「そんな怒んなよ。わざとじゃねえんだし」「黙れ!吊るすぞ!」荒川さんがまくし立てる。突っ込んだわけではなく、かなり本気で怒っているようだ。さすがにピーナッツ頭でもそれは理解できたらしい。何か言いかけたけど、高柳さんはうつむいて膝の上に手を置いた。一生懸命やって結果が出ないのは仕方ない。以前、4Kで、高柳さんのところでバトンを落としたが、ああいうミスは仕方ないのだ。しかし、このミスはない。絶対にしてはいけないミスなのだ。「とりあえず、お前、4Kはクビだ」荒川さんが金属製のバトンをパシパシとやりながら言った。「お前のインカレはトイレの中で終了だよ!」周囲でぷっと笑いが起きる。絹大陸上部の歴史に残る、荒川さんの名言だった。ちなみに。僕は準決勝トップタイムの10秒35で決勝に残った。絶好調というか、もしかするともしかするかもしれない。初出場で初優勝、なんていうことも夢ではないだろう。そのぐらい調子がいいし、いける気もする。ライバルの1人、浅田次郎も悠々と決勝進出。イメージとしては高柳さんとかぶるが、今、伸び盛りの選手である。調子の波が激しい選手らしく、タイムにばらつきがあるのも特徴だ。しかし、今回のインカレは、調子がいいほうに見える。そしてもう1人のライバル、本間君は力を残したまま10秒43の2位で決勝へ。もちろん、優勝候補の一人である。ここは通過点にして、さっさと上のステージに上がることを考えているに違いない。来年の世界陸上、そして再来年のオリンピックだ。インカレ4連覇を達成した後藤俊介が卒業し、勢力図がどう変わっていくのか。その点でも注目される男子100mの決勝は、明日、行われる。「さて。ご飯ご飯」つまり、今日はもうおしまい。高柳さんはほうっておいて、楽しいご飯の時間だ。あとはもうゆっくり休みながら、美味しいものをいっぱい食べよう。ま、食べられる場所も限られているし、予算の都合もあるんだけどね。「聡志、腹減らない?」観客席まで行って誘ったけど、聡志はちらりと僕を見て欠伸をしただけだった。「さっき食べた」「それはロシア時間で何時?」「山梨時間で13時半」「さよか…」とりあえず、聡志の横に座る。トラックでは女子1500mが行われていた。うちからも2人出ているけど、集団後方をやっと追走している状況だった。黙って、しばらく見ていたけどお腹が空いてしょうがない。もうすぐ4時だから、夜ご飯まで我慢しようか。バナナがまだ1本あったような気がする。あれ、食べちゃったんだっけ?考えながら待機場所に戻って荷物をごそごそしたけど、何も入っていなかった。どうしよう。しょぼんとしていると、目の前に、すっとバーガーショップの紙袋が現れた。「ん?」ミキちゃんだった。少し、恥ずかしそうな顔をしている。「ごちそう」「え、いいの?」「カキフライはまた今度ね」「あ、うん…」ミキちゃんはずるい。いつもいつも、人を油断させておいて背後から切るからだ。

085話 集中と拡散

10秒29の、素晴らしい自己ベスト。横綱になった気分で引き上げて、サブトラでダウンをして待機場所に戻って一息つく。準決勝は15時からなので、あと約2時間だ。だけど、招集や何やらの時間を考えると実際にはあと1時間半くらい。1時間半前ならアップを始めていてもおかしくない。レース間隔が短いと、なかなか難しいものがある。「あ」「ん?」「カキフライがいいな。ごちそう」待機場所に戻ってきたミキちゃんに言うと、眉毛を持ち上げられた。「ごちそう?」「あ、いや、浅田次郎に勝ったらごちそうしてくれるって…」軽く睨まれる。別に怒られるようなことは言っていないのだが、思わず口をつぐんでしまう。だけどミキちゃんは何も言わず、バッグの中に手を入れてごそごそした。小さなビニール包装の物体を僕に差し出す。「ん?」「ごちそう」「あ、ありがと…」カロリーメイトだった。何となく受け取ってしまって、それで何も言えなくなって、黙ってそれをかじった。チーズ味だった。パサパサしてて、口の中が乾くし。クッキーのでき損ないみたいな味なんだけど、どうしてこんなに美味しいんだろう。とにかく、なぜかクセになるのだ。100円ならいっぱい買うんだけどなあ…。「走り、どうだった?」聞いてみると、ミキちゃんは軽くうなずいた。「そうね。70点ぐらいかな」「70点」「まあまあ」まず、及第点といったところらしい。「前半は80点ね。後半は、70点」ミキちゃんに評定されて、一瞬僕は納得しかけたが、「あれ、それだと、平均点75点じゃない?」指摘すると、ミキちゃんは肩をすくめた。「タイム見てびっくりしてるのかっこ悪かったから、マイナス5点」「そんな減点ポイントがあるんだ…」「ビデオ撮ってあるから、あとで反省会ね」「今見れない?」「見れるわよ」バッグから、ミキちゃん自慢のノートパソコンが登場する。ドラえもんがポケットから秘密道具を出す効果音を想像していただければいいだろう。ビデオを撮り込んで再生。多少、手ぶれがあるけど鮮明な影像だ。便利な時代になったものです。 「スタートばっちりだった」「そうね。接地もいい感じじゃない」「うん」スローで確認する。かかとやつまさきではなく、足の裏全体で着地している。足の切り返しは速いし、バネのように足を運んでいて前半はかなりいい。僕としてはかなりいい走りだ。だけど、全体的に力が入っていたようだ。加速がまだまだで、そのせいで後半、ちょっとブレーキがかかっているような気がする。「上体ぶれてるわね」「うん。大丈夫だと思ってたんだけど」「筋力が足りないのかしら…」もっとも、それを今、指摘されてもすぐに修正するのは難しい。とりあえず、今ある武器で準決勝に挑むしかないのだ。「それと、前にも言ったけど」PCを閉じながら、ミキちゃんは真面目な顔で言った。「結果が悪くても良くても、それは忘れて次に臨むようにすること」「あ、うん」「悪いときだけ切り替えようとしても難しいから、常に切り替えるクセ付けちゃって」「了解」肉体にアップとダウンが必要なように、精神にも集中と拡散が必要なのだ。その点、本間君は上手だと思う。レースが終わったらパパっとダウンをして、あとはずっと寝転がって音楽を聞いている。それぞれのやり方があるので、僕も自分に合った方法を探らなければなるまい。「星島君は、美味しそうな料理の写真を見るとかでいいんじゃない」ミキちゃんに言われて、僕は苦笑した。「サブトラでそんなことしてるやついたら変だよね」「いいじゃない。どうせ変態なんだから」冗談ではなく、至極真面目な表情のミキちゃん。思わず僕は、ばたんと倒れこんでしまったのだった。